週刊 奥の院 12.17

■ 佐藤竜一 『それぞれの戊辰戦争』 シリーズ藩物語別冊 現代書館 1600円+税
 東北の、東日本大震災後の苦難と戊辰戦争後の辛酸が重なる。

……その戦いで最も悲惨な目にあったのは会津藩の人々です。戊辰戦争後、会津藩の人々は斗南藩士(現青森県むつ市)として生きる者、会津に残る者、北海道へ渡る者など、離散しました。福島第一原発事故の影響で今、福島に住む人々は、それこそ、全国各地にちりぢりになっています、まるで百四十余年前のように……。盛岡藩仙台藩の人々など東北に住む人々も、辛酸をなめました。戊辰戦争に敗れたために、「白河以北一山百文」と蔑まれ、東北の開発は遅れ、経済的にも苦しい時期が続きました。それでも、東北の人々は反骨心をバネにして自らの運命を果敢に切り拓いてきました。

プロローグ それぞれの戊辰戦争  
第一章 江戸幕府倒壊への道
第二章 明暗を分けた鳥羽・伏見の戦い
第三章 争乱拡大と江戸城無血開城
第四章 奥羽越列藩同盟
第五章 五稜郭の戦い
エピローグ 汚名を雪ぐ

“朝敵”の汚名を雪ぐため尽力した人々、辺境の地で苦難に耐えた人々、賊軍の屈辱から這い上がった人々……、多くの人々の無念をバックに、政治家、教育者、軍人、学者として名をなした人もいる。
 江戸開城後の官軍の標的は会津。東北の諸藩が会津に味方した。
 著者の考え。もし東北が会津に手を差し伸べていなかったら、薩長藩閥政治が長く続き、大正デモクラシーのような自由はもっと遅れただろう。会津天皇への忠誠を論証した山川浩・健次郎兄弟、初の政党内閣を率いた盛岡藩出身原敬らの存在は、
「薩摩・長州出身者の独善性を緩和し、よりよき社会を実現するための存在として機能したのではないだろうか。私にはそれが、戊辰戦争の副産物に思われるのである」 
 著者は、1958年陸前高田市生まれ、岩手大学講師・作家。幕末維新史、中国史宮沢賢治を主テーマに執筆活動。
(平野)

 朝日新聞」12.15『おやじのせなか』に中島さなえさん登場
 何がうれしいといって……。「倖田〜お腹の子〜」とちゃいます。
 父上への幼い時からの複雑な感情や感覚で、「幼稚園のころから好きになるのは40歳以上のおじさんばかり……」の言葉。
 16日仙台は雪だそうです。私、♪いぬはよろこび にわかけまわり〜の気分です。やっぱり、おっさん、アホです。