週刊 奥の院 12.12

■ 坪内祐三 『探訪記者松崎天民』 筑摩書房 2200円+税  装幀 南伸坊
『ちくま』に、1996〜97年、2001〜02年、さらに10〜11年にかけて連載した評伝。
 松崎天民(1878〜1934)は明治・大正・昭和と活躍したジャーナリスト。政治社会から流行・美食ネタ、貧民窟や精神病院ルポまで、幅広く取材し記事を書いた。
 著者は明治大正の面白人物に興味を持っていたが、天民には近づけないでいた。92年に『月刊Asahi』の特集「20世紀日本の異能・偉才100人」(編者、谷沢永一山口昌男ほか)を手伝う。そこでの「天民」紹介文(関井光男)。

岡山県出身。一家破産して京阪を流浪し、国民新聞給仕時代には共同便所の灯で読書したという。東京朝日記者で書いた「淪落の女」が評判で以後「赤い恋と青い酒」「探偵ローマンス」など二十余冊のルポ・紀行をものし、のち「食道楽」など編集。銀座の食物屋の通となつて、颯爽カフェに入つては水を飲んだだけで出て来たり、乾物屋の店先で目刺を見かけて「オイ コレ焼イテクレ」と店先で食い「旨イ」とそのまゝ持つて行く。店でも宣伝と心得てか怒りもせず煙草をくれたり驚くのは通行人ばかりだつたらしい。しかも蔭では時々金を払つたというから要領の好い男である。大食と義眼では逸話も多いが、奇とするに足りない〉

 掲載写真は、丸眼鏡の恰幅の良い中年男が上半身裸で胡坐。著者は天民に好意を持った。
 天民の社会的視野・興味の広さの一端。
 東京朝日時代、『社会観察』という連載を担当していた。明治44年3月から5月「現代の女学生」連載。女子大の校長にインタビュー、購買部で雑誌・化粧品調査、さらに彼女らの好むファッションや色彩を詳しく調べる。とくに当時の婦人雑誌の分析はデータとして貴重なものだそうだ。
 この連載の案を考えていた時に起きたのが「大逆事件」。被告たちの死刑執行後を取材している。遺体を引き取る堺利彦らに同道して(警察官に制止されるが関係者になりすます)火葬場に行く。

〈……竈の中へ納めんとする間一髪の所へ内山愚童実弟内山正次立ちふさがり「この棺の中の仏が兄に違ひないか、弟として一目見たい、死んだ者に罪はない、この蓋を開けてくれ、誰が止めても俺は見る」とキツとなり火葬場の人夫に大金槌と持て来させたり……〉

 マニアックな探究心、天民節というような少し(時に並はずれて)センチメンタルな文章……
 著者の連載は当初1年で終わるはずだった、調べれば調べるほど天民に魅了されたということでありましょう。
(平野)