週刊 奥の院 10.23

■ 周防大島文化交流センター編 『宮本常一写真図録第3集 宮本常一芳賀日出男があるいた九州・昭和37年』 みずのわ出版  2800円+税 

種子島から始まる』 芳賀日出男
 百科事典の平凡社が昭和38年(1963)から月刊のグラフ雑誌を出版することになった。編集長は『風土記日本』や『日本残酷物語』の編集で名をあげた谷川健一氏、執筆は宮本常一先生、写真撮影は私に決まった。いままで平凡社には名刺の半分くらいの大きさのモノクロ写真しか使ってもらえなかったので、これで晴れて民俗写真が掲載されるかと思うと嬉しくなった。
 宮本先生の旅は日本中いつ、どこへ行ってもいいということで、第1回は鹿児島県の種子島に決まった。
 昭和37年6月10日に私たちは鹿児島で出会い、種子島行きの客船に乗り、西之表(にしのおもて)に入港する。すると港の桟橋には「歓迎宮本常一先生」の大幟が立っているではないか。船をおりたとたんに宮本先生は歓迎の人波にかこまれてしまった。

 九州各地を取材していたら、編集部から取材打ち切りと宿に電報。営業サイドが、農村や島の話よりもヨーロッパの城のような豪華な内容でないと売れない、広告もとれないと。編集方針が変わる。宮本は、その後15年かけて『私の日本地図』を完成させた。


目次
 種子島から始まる 芳賀日出男
 ? 種子島 新興の意気にもえる種子島
 ? 大隈半島 大隈半島裁縫の旅
 ? 球磨 球磨盆地から五木・五家荘の村をあるく
 ? 壱岐 変わりゆく壱岐の村々
 ? 対馬 対馬一巡
 ? 五島列島 五島列島、盆のにぎわい
? 阿蘇・姫島 九州横断の旅
? 宮本常一の写真作法
解説 「窓から外をよく見よ」――宮本常一の写真記録

 表紙の写真は、五島列島宇久島の海士・岩本翁の道具と、玉之浦のチャンココ踊りの衣裳。
 宮本が撮影した写真は10万点を超える。
 ビジュアルが内包する情報量の膨大さ、伝達性の高さとその重要性を認識し……ペンと口を通して伝達していくときの重要な足がかり、主要な役割と位置づけていた。(写真家・高橋延明)
 大宅壮一が唱えていた「カメラ=万年筆」論が、見事に実践されているのがわかる。「メモがわり」として優れているのは、写真としての完成度の高さよりも、あくまでも後でその写真を見て思考を整理し、報告をまとめることを前提とした撮り方が優先されているからでもある。(写真評論家・飯沢耕太郎

(平野)