週刊 奥の院 10.22

■ 保阪正康監修 太平洋戦争研究会著
『「写真週報」に見る戦時下の日本』 世界文化社
 2500円+税
 昭和13(1938)年2月から昭和20年7月まで内閣情報部が発行していたグラフ誌、全370冊を検証する。
 戦時下のプロパガンダ誌。13年の1号あたりの平均販売数約1万8千部、14年7万6千部、15年12万3千部、16年25万部、17年30万部と伸び続ける。敗戦の20年でも平均25万部。官報販売所、一般書店、駅売店、写真材料店などで販売。広告は3大紙(朝日、日日、読売)に毎週掲載。当時、新聞75銭、『アサヒグラフ』80銭、『週報』は10銭と格安だった。
 保阪さんの解説から。
『週報』発行の目的? 日中戦争開始から7ヵ月、名目は「支那事変」だが、事実は戦争状態。なによりも国民の全面的協力が必要。「聖戦完遂」の士気を鼓舞するために国家のメディアが必要だった。また、13年4月1日国家総動員法公布。戦時に際し「人的資源を統制運用」する=「心をひとつにする」、そのために写真という視覚メディアを利用した。「国威発揚」「時局認識」「銃後の守り」「皇軍の正義」……。
 保阪さんはすべての号を見て、『週報』の歴史的役割をこう表現する。
 

「軍事指導者から見て戦時下国民生活の理想的な姿勢」が網羅されているといえる。東條首相件陸相を中心とする軍事指導者の国民を見つめる目が具体的に各頁にあらわれているとの言い方をしてもいいのではないか……。

 戦況が悪化するにつれ、事実より「護国」「断じて勝つ」などの表現が多くなり、写真より活字が多用される。
 写真雑誌に写真が載らないのは、写真が事実を写してしまうからだ。だから、勇ましいが虚しい言葉だけが並ぶ。
 本書では、編集スタッフ・人員についての言及はない。カメラマン・作家の名が数名出てくるだけ。作り手個人よりも“国家とメディア”という観点から分析する。スタッフについては、『戦争と広告』(馬場マコト、白水社、2010.9月)が詳しい。
(平野)
■ 「復興の狼煙」ポスター展 10.22(土)・23(日) 2Fギャラリースペース 主催 くとうてん
 
 盛岡・東京のカメラマンたちのメッセージポスター37点展示。
23日 16:00〜18:00 第1回 東日本大震災のボランティア活動報告会「神戸から僕たちが何かできること」 元町6丁目のカレー屋さんLUCYの堀江さん。 報告者、4人になったそうです。