週刊 奥の院 9.21

■ 池澤夏樹 写真・鷲尾和彦
『春を恨んだりはしない  震災をめぐって考えたこと』 中央公論新社 1200円+税
 

 これまで死者に会わなかったわけではない。……
 彼らは一人また一人と間を置いて旅立った。一度にたくさんの身内や友人を失うようなことはなかった。……
 今年三月十一日、たくさんの人が亡くなった。
 逝った者にとっても残された者にも突然のことだった。……
 たくさんの人々の死の状況を知ったのはメディアによってだが、日本のメディアは遺体=死体を映さなかった。……
 しかし、遺体はそこにあったのだ。……
 あの頃はよく泣いた。廃墟に立って手放しで泣く老人の写真に泣き、震災の一週間後にあった従兄の葬儀では泣かなかったのに、その翌日の親友の娘の結婚式で花嫁姿泣き、東北の被災地に入った看護師の報告のブログに泣いた。

 町の復旧・復興、仮設住宅での暮らし、行政の限界、原発問題、将来の日本など論ずべきテーマは多い。

 社会は総論にまとめた上で今の問題と先の問題のみを論じようとする。少しでも元気の出る話題を優先する。
しかし背景には死者たちがいる。そこに何度でも立ち返らなければならないと思う。

 ぼくは自然というものについて長らく考えてきて、自然は人間に対して無関心だ、ということが自然論のセントラル・ドグマだと思うようになった。
 (ヴィスワヴァ・シンボルスカ「眺めとの別れ」沼野充義訳 より)
 またやって来たからといって  
 春を恨んだりはしない  
 例年のように自分の義務を
 果しているからといって  
 春を責めたりはしない  
 わかっている わたしがいくら悲しくても
 そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと

……

 春を恨んでもいいのだろう。自然を人間の方に力いっぱい引き寄せて、自然の中に人格か神格を認めて、話し掛けることができる相手として遇する。それが人間のやりかたであり、それによってこそ無情な(情というものが完全に欠落した)自然と対峙できるのだ。
 来年の春、我々はまた桜に話し掛けるはずだ、もう春を恨んだりはしないと。今年はもう墨染めの色ではなくいつもの明るい色で咲いてもいいと。

 長い引用で申し訳ない。でもね、池澤さんの文章は、「詩」なんです。悲しい辛い話なのですが、引き込まれてしまいす。力とか元気とかよりも、この人が一生懸命に言葉を発してくれていること、伝わってきます。
 池澤さんは1945年生まれ、原子力と生きてきた世代。(ヒロシマナガサキ・水爆実験で漁船被曝)原子力平和利用を信用していないし、警戒してきた。大学では物理学専攻。
 

 大学で物理を勉強した後でも原子力に対するぼくの疑念は変わらなかった。科学では真理の探究が優先するが、工学には最初から目的がある。この二つははっきり分けられなければならない。(原爆開発について科学者は、探究を止められなかったと弁明したが)原爆は科学ではなく工学の産物である。科学はそれに手を貸したにすぎない。彼らは十万人の人間を殺す道具を、それと承知で、作ったのだ。

 

(平野)『月刊神戸っ子』創刊600号。「神戸新聞9.20夕刊」より。
 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004484386.shtml
 久々にビジュアル系登場。