週刊 奥の院 7.21
■ 安水稔和 『菅江真澄と旅する 東北遊覧紀行』 平凡社新書 780円+税
菅江真澄――江戸時代後期、北日本を旅し、詳しい紀行文を遺した人、くらいの知識しかない。
どういう人物なのか。名前は自ら名乗ったもの。わかっていることは、生年、本名。生地は三河渥美郡(豊橋市)と推測。30歳で故郷を旅立つ。克明な旅日記や厖大な地誌により、民俗学の祖と称される。
著者・安水さんが菅江真澄に出会ったのは46年前。佐渡への旅に『遊覧記』(東洋文庫)をたずさえ、すこしずつ読んだ。5年後に秋田、その後も東北地方に出かけた。
「出かけて行って真澄を追った。……真澄の泊まった村に泊まる。真澄が歩いた浜を歩く。真澄が眺めた滝を眺める。真澄が立った山道に立つ。真澄の後を追い真澄と同行することで真澄の眼を今に生かしたいと思う。真澄の方法を文学の方法に転じたいと願う」
旅の途中書いた詩の一節。
眠ると
岩のこすれる音がする。
かたい貝殻を踏み砕くような音。
手のひらをもんで塩を出すような音。(体のなかをのぼりおりする体液が
世界とひとつづきであることの不思議。
わたしであって わたしは
わたしでなくなって わたしは。
真澄に関わる詩集、評論集を何冊も上梓している。
安水さんは1931年生まれ、神戸の詩人。かつて訪れた東北の被災地に思いを馳せる。
……揺れて崩れて燃えて流されて。先年訪れた気仙沼は、陸前高田は。なつかしく思い起こされる町々村々は、出会った多くの人々は、今。……
唐桑半島で。明治二十九年の三陸大津波についての文章が刻まれていた柳田国男文学碑。三陸大津波で先端が折れてそれでも残って海中に立つ柱状の岩、折石。このたびの津波でなお立っているだろうか。
菅江真澄は田名部や秋田他行く先々で地震に遭ったし、津波の惨状を聞き書きしている。
安水さんは阪神淡路大震災の後、体験を真澄の記述に重ねて講演した。
「今も昔も、西も東も南も北も、私たちはあらゆる災害に囲まれて生きてきたのだし、生きていくのだ。たとえば菅江真澄を介して時間軸と空間軸を辿ればそれがよくわかる」
1.17を抱えて十六年。3.11を抱えてこの先。そっと小声で呟く。
わたしたち
揺れて震えて
それでも
それだから
いのちあれ
ひかりあれ
今日祈るのみ、いのちあれ/ひかりあれ、と。
(平野)どーでもいいことなのですが、うれしくて。実は20日は私の誕生日。めでたい年齢ではないけれど、良いことがあった。遠い遠いある町の本屋さんの若い(私の娘くらい)の書店員さんとお話できた。内容はいずれ明らかにできるでありましょう。仕事だよ〜ん。
碧野さんブログ、114、115。このバイタリティを見よ。
http://aonokei.cocolog-nifty.com/syoten/2011/07/no115-8b74.html