週刊 奥の院 7.10

■ パスカル・ドゥテュランス  田中訓子訳
『ヨーロッパ紋切型小事典  AからZの煌めき』 作品社
 1800円+税

 ジャケットの絵は、ピエール・ボナールエウロペの誘拐」(1919年、アメリカ・トレド美術館)。

 紋切型事典と言えば、フロベールを思い浮かべる。 

 皮肉屋のフロベールは、言葉の意味を知るよりはむしろ決まりきった意味を忘れたい人のための辞書を考案した。猫は猫ではなく、すべての語は一つの現実ではなく、一つの陳腐な考え、一つのうわさ、一つの幻想を表わしている。ヨーロッパもまた、信じられているようなものではない。洗練されていることを望まれもすれば、野蛮だと非難されもする。傲慢だと思い込まれもすれば、屈辱を受けているように見られもする。幸福で輝くばかりだと言われもすれば、地獄のように描かれもする。

  
 ヨーロッパとは何か?
 深い豊かな歴史、文化、そしてその役割を再検討する。
 著者は、ストラスブール大学教授、ヨーロッパ文学研究。
 

 フランス語のEuropeはヨーロッパであると同時にヨーロッパの語源となったギリシア神話エウロペであり、もちろん女性名詞です。従ってアルファベット順の項目の形容詞はすべて女性形になっています。(訳者)

 エウロペはゼウスに誘拐される美女。

 amoureuse(恋愛の) から zelee(1つめと2つめのeに「’」熱意あふれる) まで、形容詞によってヨーロッパを解説する。紀元前5世紀のヘロドトスから20世紀の文学・演説、さらに美術作品とともに。
 amoureuse(恋愛の)ヨーロッパ

 若く美しい王女エウロペは、誘惑するどころか何も愛さない。しかし、エウロペは人を魅了する。……詩的高揚から生まれた偉大なヒロイン、エウロペは平和と自由と普遍的和合のアレゴリーになる。……詩人たちはヨーロッパを恋愛事件にしたのだ。

 引用される以下の文章はヴィクトル・ユゴーの「パリにおける平和会議の演説」(1849.8.21)。
 

 二〇世紀には一つの並外れた国家が存在するだろう。
 その国家は広大だが、そのことは国家が自由であることを妨げないだろう。
 国家は誉れ高く、豊かで、思考力を持ち、平和を好み、友好的であるだろう。その国家、それはヨーロッパと呼ばれるだろう。
……
 フランス、ロシア、イタリア、イギリス、ドイツ、ヨーロッパ大陸のすべての国が異なった特性や輝かしい独自性を失うことなく、より高度な統一体の中に溶け合い、ヨーロッパの連帯感を作り上げる日がやって来るだろう。
……
 それではフランス人、イギリス人、ベルギー人、ドイツ人、ロシア人、スラヴ人、ヨーロッパ人よ、我々はこの偉大な日に一日でも早く達するために何をなすべきなのか。
 互いに愛し合うことだ。
……
 我々は征服の精神の代わりに、発見の精神を持つだろう。われわれは皇帝たちの冷酷な連帯感の代わりに、国々の寛大な連帯感を持つだろう。我々は国境のない祖国、無駄のない予算、税関のない交易、愚鈍化のない教育、軍隊のない青春、戦闘のない勇気、死刑のない法廷、ドグマのない真理を持つだろう。
 おぞましい文明の結紮は解け、人類と至福というこの二つの海を隔てている恐ろしい地峡は立ち切られるだろう。世界には光の洪水が降り注ぐだろう。
 それではこの全き光とは何だろう。
 それは自由だ。
 それではこの全き自由とは何だろう。
 それは平和だ。

  (結紮=けっさつ、血行をとめること)
 エウロペはヨーロッパ統合の象徴。
 以下、「時代錯誤の」「黙示録の」「貴族的な」「時代遅れの」「アジアの」「野蛮な」「好戦的な」(フランス語略)……。最後の「熱意あふれる」では、エウロペは紋切型の「従順な女性」=欺かれたか弱い女性からかけ離れた強い女性になっている。絵は、フランソワ・ブーシェエウロペの誘拐」(1747年、ルーブル美術館)。モデルの女性はルイ15世の愛人、当時の宮廷を支配した。
「力の限り熱心に神々の王を支配しているのだ」
 著者は皮肉な口調だが、訳者の解釈は、
「(熱意あふれる・献身的なという)形容詞は事典を締めくくるにふさわしい言葉です。最後のページに手がかかるころ、私たちが感じるのはヨーロッパを求めヨーロッパに問いかけ続けてきた熱意であり、この持続する熱意こそが文化を作り上げてきたのだと思い至るのですから」
 モデルのポンパドゥール夫人は芸術愛好家で、啓蒙思想家の擁護者であり、工芸の推進者。文化と教養の象徴。

「ヨーロッパ=文化という紋切型に戻ってきてしまっても、紋切型に真実は一つもないと言うことはできないでしょう」
 紋切型、非紋切型、実は紋切型……、最初に書いてあった。
「……この小さな事典に教訓的な狙いを期待しないでほしい。ここにあるのは訂正したり非難したりするためのものではない。すべては私たちのヨーロッパ観と戯れるためのものだ。また、ここから立派な学識を得ようなどと思わないでほしい。うまくいけば図版の後ろに隠れているものや、言葉の下で沈黙しているものの面白さを味わってもらえるだろう」
 著者の手の上で。
(平野)