週刊 奥の院 7.7

 佐木隆三 文  黒田征太郎 絵
『昭和二十年八さいの日記』 石風社 
1300円+税


  四月十五日
 ぼく、八さいのたんじょう日。
 広島県高田郡小田村立
 小田東国民学校初等科二年、
 りっぱな軍人になり
 国のために命をささげます。
  
  五月十三日
 つとむ兄ちゃんが広島からもどる。
 けんりつ中学校へ入りながら、
 びょうきとはなさけない。
 ひこくみんではないか。
  
  六月五日
 「沖縄いまや苦戦」。
 本土けっせんはちかい。
 ぼく、かくごはできている。
  
  八月六日
 「広島へ新型爆弾、らっかさんが空ではれつ」
 朝ばあちゃんと田の草取りをしていたら
 ピカッと光り、大きなキノコ雲が立ち上がって、
 夕方からヤケドをした人たちで学校はまんいん。
  
  十月二十五日
 母ちゃんと広島市へ行く。
 ピカドンで焼けのがはら。
 つとむ兄ちゃん、
 生きていてくれてありがとう。
 ……

 佐木さんは朝鮮生まれ、父親が召集されて母親と広島県に引き揚げ。父はフィリピンで戦死。母子は親戚を頼って北九州に移る。祖父が筑豊の炭坑夫だった。
 黒田さんの父親も筑豊の炭坑マン。
 ふたりの出会いは、60年代末東京、野坂昭如さんを通して。
 佐木さんの「広島でキノコ雲を見た」という話から、黒田さんが「8歳に戻って書いてみたら」と勧めた。

(平野)『ダ・ヴィンチ』8月号、特集「東日本大震災  無力感を祈りに変えて」。出版関係者だけではなく、多くの人に取材。「阪神・淡路」のときも来てくれた。仙台の出版社「荒蝦夷」ページで、当店フェアの写真が紹介されている。