週刊 奥の院 7.4

◇SURE の新刊、2点。
■ 山田慶兒・編集グループSURE
コーランを読んでみよう』
2500円+税
 「編集代表のことば」から。
 

かつて、日本の私たちにも、アラブの世界には、漠然とした憧れがありました。砂漠をラクダで旅するキャラバンのイメージとか。……9.11事件以来、これとはまったく異質なイスラームやアラブ世界のイメージがメディアを覆うようになりました。それからの10年間、私たちは、この恐怖と緊張に満ちたイメージのなかに閉じ込められて過ごしてきたように感じます。……何が事実かを判断するのはむずかしい。ましてや、「異文化を理解する」などというのは。けれど、まず、そこの人たちが大切にしている「聖典」を読んでみることは、なにか、未知の世界を理解しはじめる手がかりを私たちにもたらしてくれそうに思いました。……まず、ここから始めてみよう。

 科学史の山田さんを中心に、岩波文庫コーラン』(全3冊)をテキストにして勉強会。
 目次
第一部 国境をこえる宗教の誕生  神とひとの契約 ただ一つの神を奉じて 「預言者のハレム」 商人ムハンマド 普通人としての預言者 断食月の夜 ……
第二部 共存を形づくる知恵  『旧約聖書』からの系譜 メディナで起ったこと 姦通と四人の証人 二つの性のあいだで 日常の暮らしと信仰 ……
第三部 裸足の若者が、ひとりでそこに立っていた  歴史と「証し」 「多神教」って何?  都市で起こりはじめること 第三の極をつくる 矛盾に充ち満ちながら 「天国」の今 飲酒はどれほどいけないか? ……

 ざっと(いつものことです)読んで(見て)、知らなかったことがいっぱい。 
 宗教書としての「コーラン」は朗唱するもので、翻訳はしてはいけない。研究用の参考なら許される。
 神の「語録」だが、内容が具体的。遺産分配、結婚制度など。
 牧畜社会(一神教)も農業社会(多神教)もきびしい自然条件のなかで生きるのであるから、部族の結束とか忠誠とか閉鎖的。ムハンマドは大商人であったから、その教えは商人層を前提にする。旧来の社会を乗り越えていく力をもっているのは商人。民族・宗教・職業の違いを乗り越えて、コミュニケーションを成立させる。
 ユダヤ教イスラムも神との契約という意識が強い。神への帰依と神による救済。契約を守る代償に利益を得る。砂漠の商人階級を基盤とする二つの宗教の特色。
 ユダヤは制約が大きく閉鎖的。イスラムは制約を減らしている。豚・死んだ動物を食べてはいけないという程度。開放的な戒律で、アラビア半島から中国、スペインにまで広がった。
 イスラムの存在を否定しようとする人間とは断固戦う。そうでない限りは、各自が勝手に信仰してもよいという姿勢。
……

コーランか剣か」「ジハード」という、怖いイメージがこびりついてしまっている。
■ 北沢恒彦とは何者だったか?』 3000円+税
 SUREの創始者。受け継いでいる編集者たち(3名、うち2名実子)が親類・縁者、知人21名に聞き書き。一人のインテリゲーチャーの歴史であり、戦後文化史。
 

 北沢恒彦は、生涯を通して、ほとんど無名ですごした人物である。幼時から晩年へ、それぞれの時期を知る人びとに証言を求めて、ひとつの「伝記」を編むことを試みたいと考えた。
 私たちは、誰もが、生まれたときの記憶を持たず、自分の死も確かめることもなく、人生を終えていく。また、他者の全生涯を一人で見とどけることも、あまりない。だとすれば、きれぎれの記憶が、さまざまな場所から、持ち寄られ、つきあわされていくことが、人のおもかげを互いに照らしあう手だてとなると思えたからである。(黒川創、長男)

 年譜による。出生・幼少時代、昔のこととはいえ複雑な事情。2歳で京都のお米屋さんの里子(のち養子縁組)。
 高校時代に反戦運動で逮捕。同志社大学卒業後、製パン会社を経て市役所勤務。鶴見俊輔らと精力的に読書会などのサークル活動を展開。「思想の科学」寄稿、ベ平連参加。私生活でもサルトルユゴーランボーなどを原書で読む。役所では67年から中小企業指導で商店主と付き合い、退職までその職にとどまった。
 変わったところでは、NHKテレビの家庭番組出演。52歳のとき、役所勤務のまま大学院入学。退職後、個人誌「SURE」発行。大学で非常勤講師。村上春樹作品に感動してメールでファンレター(職員が代筆)、返事が来た。海外旅行、自転車と元気に活動。
 しかし、99年自死

 聞き書きを終えて、

……自死という終わり方も含めて、北沢恒彦の生涯は、おそらく、さほど暗い印象を誰に対しても残していないのではないだろうか。不器用なやりかたなりに、力を尽して、彼は、よく生きたという印象が、そこに伴う多少ともマンガ的な滑稽味とともに、彼を知る者たちに、より強く残っているからのようにも思われる。
 恒彦が書いた文章は、これも独特の不器用な屈折を帯びて、読みやすくはない。要するに、原稿料を稼いで食える種類の文章ではないということである。
 だが、彼には書くべきことがあった。また、それを書こうとする意欲を持っていた。この作業の内側にあっては、渾身の力をもって考え、苦しみながらそこにしがみつき、書くことが生きることであった。

 家族にとって、「自死」されることはつらい。たとえ理由は想像できても、つらい。

(平野)海文堂HP更新。 http://www.kaibundo.co.jp/index.html
「私の棚」も更新。 http://www.kaibundo.co.jp/tana/tana.htm    
「本屋の眼」もついでに。 http://www.kaibundo.co.jp/honyanome/honyanome.htm