週刊 奥の院 6.19

■ J・L・ボルヘス  鼓直=訳
『詩という仕事について』 岩波文庫
 660円+税
 1967〜68年、ハーヴァード大学で講義、全6回の記録。『ボルヘス、文学を語る――詩的なものをめぐって』(2002年・岩波)を文庫化。
1 詩という謎

……この第1回の講義の題目そのもので、どうやら私はミスを犯してしまいました。アクセントは、もちろん、二番目の単語「謎」にあります。皆さんは、肝心なのは「謎」であるとお取りになるかもしれない。あるいは、一層悪いことに、その謎の正解をどうやら見つけたと、私が勝手にそう思い込んでいるとお取りになるかもしれない。実際には、皆さんにお教えするようなことは、私には何もありません。私はこれまで書物を読み、腑分けし、書き(もしくは書こうと試み)、楽しんでもきました。そしてこの最後の行為こそが、何よりも大切なものであることを悟りました。「詩を汲む」。これこそ私の得た、いわゆる最終的な結論です。……

2 隠喩
3 物語り
4 言葉の調べと翻訳
5 思考と詩
6 詩人の信条

……私は自分を、本質的に読者であると考えています。私は無謀にも物を書くようになりました。しかし、自分が読んだものの方が自分で書いたものよりも遥かに重要であると信じています。人は、読みたいと思うものを読めるけれども、望むものを書けるわけではなく、書けるものしか書けないからです。
……
 私は物を書くとき、自分のことはすべて忘れるように努めます。私自身の個人的な事情は忘れます。かつてそんなこともありましたが、「ラテンアメリカ作家」たろうとはしません。私はただ、夢とは何かを伝えようと努めます。そしてかりにその夢が曖昧なものであっても(私の場合、おおむねそうです)、それを美化すること、あるいは理解することもいたしません。それで良かったのでしょう。恐らく。私を取り上げたコラムを読むたびに――そういうことをなさる人が、どうやら大勢いらっしゃるようです――私のいい加減な文章から読み取れる深い意味におおむね驚き、大いに感謝しているしだいです。もちろん、私が感謝しているのは、物を書くと言う営みが一種の共同作業であるからです。つまり、読み手もその作品に関与する。その本を豊かなものにするのです。講義においても、同じことが起っているはずです。 

 彼は、一族の宿痾と言うべき男系につきまとう眼の病で、50歳代末に失明。この講義もノート・メモなし。すべて彼の頭脳から。
 
 偉大な人の本をパラッとめくってチョロッと紹介することの愚かしさ、重々わかっています。お許しを。
 それにしても、岩波文庫ボルヘス5冊目。“エライ!”
(平野)