週刊 奥の院 6.5


■ 河野多惠子 『逆事(さかごと)』 新潮社 1500円+税
 何で、この本?
 実は、『波』で佐久間さんが著者インタビューしているから。ちょっと前に紹介した「文ちゃん」。お元気そうで何より嬉しい。もっと出てきてください。
 短篇5篇。表題作「逆事」。
 

人は満ち潮どきに生まれ、干き潮どきに亡くなるという。私はその謂われを次兄の十三回忌の折に聞いた。

 逆事=逆縁、子が親より先に死ぬことを思い浮かべるが、著者は「満ち潮で死ぬ」というのも、そうとらえている。
 志賀直哉の小説「母の死と新しい母」を引き、近親者や文学者の死を語る。
 父親の臨終は午後四時半過ぎ。親戚の医師が、この時間だと「二通夜(ふたつや)」になってたいへんだから死亡時刻を繰り上げる、と。この時、干き潮のことは考えてはいなかった。何年か経って「本当の死亡時刻は干き潮だったのかしら、繰り上げの死亡時刻のほうはどうだったのかしら、ふと思ったことがある……」。
 三島由紀夫は満ち潮の時刻――「満ち潮に変わったばかりの時刻ではなく、絶頂へさしてどんどん進んで行っている時刻」――で亡くなった。

 私は三島由紀夫という人を「択びすぎた作家」だと思っている。それも万事に頭で択びすぎた作家であったようである。偶然や成り行きの妙味は知らず、好き嫌いもまた情や感覚ではなく頭で択んだものだったように思われる。結果としては同じことながら、三島が男性であることも、頭で両性をあれこれと比較してみて、択んだ性のように私には思えるくらいだった。そうして、択ぶことへの彼の熱心さには、人目への過度の期待が感じられる。
 そうして、彼の死もまた択んだ死であった。しかし、新聞やテレビで大きく報道される、亡くなり方の状況を知ってみると、逝く時刻に干き潮を拒み、満ち潮を択ぶような段取りは不可能であったにちがいない。


 母親は、家族が朝気づいたら亡くなっていて、時刻は判らない。伯母は満ち潮の時間だった。
 その伯母は、戦死した息子を靖国神社に泊まりこんで弔いたいと願うが、叶わなかった。死後、幽霊となって河野の前に現われる。
(平野)