週刊 奥の院

■ 松下格 『増訂 評伝中野重治』 平凡社ライブラリー 2200円+税

 元版は1998年筑摩書房。著者は筑摩で編集、中野と関わる。『全集』(76〜80)、『定本 全集』(96〜98)の編集・校訂も担当した。チェーホフの翻訳で有名。
 戦争中、中野は警視庁から完全転向を証拠立てるための「手記」を強要される。筑摩の古田晁が元気づけるために信州小野の実家に泊まらせる。松下は、そのときの古田の言葉を引用しながら、人柄を語る。

中野重治といふ人は、いやなところも、ずるいところもむろんあるだらうけど、今度小野にゐる間に、炊事の婆さんや、男衆たちにまつたく神様みたいに慕はれちまつた。東京の先生がたで、あんないい方はゐないといふので、みんな大変な惚れこみやうだつた。ありや、どういふことなのかな」
 たしかに、私の親しむようになったころの中野さんには、意識せぬ演技者といったおもむきがあった。立ち居ふるまいや物言いに過不足がなく、しかもどことなく余裕があって、思い出してもなつかしい人柄だった。

 中野の詩に『雨の降る品川駅』(29年『改造』2月号に発表)がある。社会主義勢力弾圧、在日朝鮮人「不穏分子」追放に対して、中野は抗議を詩で表現した。
 
 

 ……
 君らは雨にぬれて君らを追う日本**を思い出す
 君らは雨にぬれて * ** **の*を思い出す
 ……

 
 伏字だらけ。引用部分は「天皇」のこと。松下は全集編集過程で、朝鮮語訳からの翻訳原稿を中野に見せる。現在読むことができる詩とは違う。激しい抗議。
「自分がこういうことを書いたのは確かだが、今となっては正確に復元することはできない」

■ 大杉栄 『叛逆の精神 大杉栄評論集』 平凡社ライブラリー 1200円+税

 
『僕は精神が好きだ』(1918・2)
 

 僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。……まやかしがあるからだ。……僕は、文壇諸君のぼんやりした民本主義人道主義が好きだ。少くとも可愛い。しかし、法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけで虫ずが走る。社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。
 僕の一番好きなのは、人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。
 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにまた動機にも自由あれ。

 解説・鎌田慧。底本は1948年6月刊素人社、近藤憲二(1895−1969)編集。書名は近藤の命名。近藤は18年「売文社」入社。大杉の妹と結婚、死別。堺利彦の娘と再婚。
(平野)