週刊 奥の院

小沢信男 津野海太郎 黒川創 『小沢信男さん、あなたはどうやって食ってきましたか』 
SURE 
1800円+税 http://www.groupsure.net/
 小沢さんの本は、以前『本の立ち話』(西田書店)を紹介した。本書はその本ができる前の鼎談、編集者であり書き手でもある3人。制作・装幀・家主(?)の皆さんも時々加わっている。
【黒】 (小沢さんは83歳)実年齢の上では「現役最長老作家」のひとりに数えられていいはずなのだけれど、ジャーナリズムなども、まだ小沢さんのことをそんなふうに扱っていないでしょう。おそらく気づかれてないんだと思うんです。……こういう人は、いったいどうやって、これまで食ってこられたのかなと。
【小】 昔からずーっと、そんなに仕事をしないやつと思われていて。だけど、それにしちゃあね、まめに仕事をしてきているんだよ。
【黒】 まめでもあり、お仕事の一つ一つが、ずいぶん丁寧です。さらに、僕自身の関心に引きつけていうと、こうやって原稿を書いて食うのは大変なんですよね、なかなか。でも、なんとか、それで食えてはきたのだろうかと。
【津】 なるほど、今日の主題はそこか。

 小沢さんはどうやって食ってきたのか?
「基本的にはずっと親のすねをかじっていたんですよね」
 中学生の時に肋膜炎で休学と復学を繰り返し、親も覚悟していた。大学を出て河出書房の臨時雇い(校正、内田百輭から苦情、「阿房列車」を「阿呆列車」にした)。タウン誌「うえの」の助っ人(有名人の代筆やら座談会のまとめ、今も顧問)。「新日本文学」事務局や編集長(05年3月まで)、労組の文化活動の仕事(これも続いている)などなど。
 戦後文学の、文壇的業界ではない文学世界のお話。
荒蝦夷『仙台学 11 東日本大震災』より
赤坂憲雄「フクシマはわたしの故郷である」 

 あの日から一か月が過ぎて、くっきりと見えてきたことがある。福島県とそれ以外の宮城県岩手県などでは、この大震災をまったく異なった出来事として体験している、ということだ。むろん、そこには福島第一原発の事故が大きな、いや決定的な影を落としている。しかしそれは、深くわだかまり潜行して、むきだしになる場面は思いかけず少ないような気がする。
 ……もはや、東北に原発はいらない、原発に将来を委ねることはできない。福島から、東北から、原子力に代わる自然エネルギーへの転換を大がかりに進めなければならない。大きな傷を負わされた福島こそが、そのためのはじまりの場所、聖地になる。汚れた大地を甦らせるために、すべての技術や知恵を注ぎ込まねばならない。汚れた大地を囲い込んで、逃げることは許されない。福島の大地が甦るとき、そして、そこに笑顔で人々が戻ってくるとき、そのときこそが復興の終わりだ。
 あらためて、福島/フクシマは私の故郷になった。さて、行くか。

 民俗学福島県立博物館館長、学習院大学教授。東北芸術工科大学(山形)で「東北学」を提唱し「東北文化研究センター」所長も勤めた。
◇「ほんまに」ニュース
「書店員さんオススメ本」 山下直祐さん(MARUZEN&ジュンク堂書店広島店)が、中島らも『水に似た感情』(集英社文庫)を静かに紹介。
 ここだけの話ですが、彼の母上を存じ上げている。無論、私は母上よりも年長である。
「子どもたちのための絵本えらび」は当店田中。『ありこのおつかい』(石井桃子作 中川宗弥絵 福音館)。本誌の“良心”であります。
 うつみっちの「映画屋さん日乗」は、読書と映画とサッカー、それに文学散歩。
(平野)