週刊 奥の院

熊田忠雄 『拙者は食えん! サムライ洋食事始』 新潮社 1500円+税

 関東の出汁がどうとか、よその土地の食べものを悪く言うのはよくない。昔、私も年寄りに怒られた。
 幕末、初めて西洋料理に出会った先祖たちはどうだったのか。
 嘉永7(1854)年3月、ペリー主催の饗宴に全権林大学頭一行が招かれる。林は慎み深く食したが、その他の者はきわめて旺盛な食欲を示したようだ。酔っ払った松崎某はペリーに抱きついたらしい。残った食べ物は皆持ち帰った。
 海外渡航では、咸臨丸と米海軍ポーハタン号に搭乗した役人・従者たち。はなから異国の食べものは合わないと、大量の日本食を積み込んだが、味噌とたくわんは米人に嫌われた。従者は自炊の質素な食事だったが、幕府高官は米側から提供された。日記に内容が記されている。「味殊によし」と。従者たちは出航10日後に初めて食べる。ジョージ・ワシントンの誕生日の祝いで、肉饅頭、焼鳥、パンなど。「臭いが鼻について我々の口に合わない」。ビールは「苦味なれども口を湿すに足る」。
 見るも食べるも初の食べ物に対する不安、警戒。油やバターの臭い、塩・醤油とは違う味付け……、しかし慣れる。
「空腹に堪えかねし故、何れも是を少し食するなり」「なれてうまくなりにけり」
 滞在先のホテルで生魚を分けてもらい刺身にしていた者が、「最早生魚にも飽き、洋肉も追々口に馴れ……」となる。
 そんな中で、著者は、激しい嫌悪感・忌避感を率直に記した人物に魅かれる。
 そのひとり、使節団ナンバー2・村垣範正は、「故郷に帰りての楽しみは味噌汁と香の物にて心地能く食せんこと」と書く。
「西洋料理に正面から向き合い、悩み、苦しんだ、その不器用で一徹な姿に好感を覚える」
(平野)♪あらえみし よなべをして ポップをかいてくれた〜♪

『仙台学 VOL.11 特集:東日本大震災』4月末発売。現地の被災出版社から発信。