週刊 奥の院

鈴木貞美 『Japan To−day』研究 戦時期『文藝春秋』の海外発信
国際日本文化研究センター発行 作品社発売
 4200円+税

 序 「日中戦争期『文藝春秋』の海外発信 鈴木貞美
1938年4月号 Contemporary Japanese Literature/Kan Kikuti (原典)「日本の現代文学 菊池寛」(以下原典のみ)
「西欧化の風潮と日本女性 島崎藤村」「パール・バックと日本 新居格」他、藤田嗣治ピカソに宛てた手紙、1940年東京オリンピック開催準備など。
 10月号まで全7号の全文掲載する。
 解説より。 『文藝春秋』1938年3月号で、次号から外国語の付録をつけると予告。
「国家の非常時に当たって雑誌社は雑誌社なりに、国家の目的に協同した方が、いいと思って始めるわけである」
「我が国にある海外宣伝のパンフレットなどを見ると、甚だ心細い」
「付録丈を増刷して、アドレスの知る限り、世界の新聞社及び著名な政治家文筆家に、発送したい」
 タブロイド版欧文(英独仏)『Japan To−day』(8ページ、4つ折・簡易糊づけ)付録。
 対中戦争で大衆は沸いている。『文藝春秋』も戦争報道に力を入れていた。しかし、菊地の方針は「中道」=左右両翼にまたがって偏らないこと。戦争拡大反対、言論の自由を守る姿勢を示すが、それでも37年11月号では山川均の論文を編集部が言論統制を察知してボツにした。
 28年株式会社化以来、成長を続け、10年で総合雑誌売り上げトップになる。
「その最後のジャンプは戦争報道によるものだった」
 38年4月、国家総動員法制定。8月、内閣情報部の要請で菊池は「文士部隊」を編成して中国戦地に行く。同月、商工務省が新聞・雑誌の用紙制限を通報、『Japan To−day』は10月号をもって終刊する。

『Japan To−day』の中身は、日本文化の国際性をアピールすることを基調に、日本軍の大陸侵出により平和が回復していることを国際的に訴え、日本の国内における和平を求める勢力の存在を示すものだった。和平の道とは親日政権の勢力を拡大する方向だった。これが「国家目的に協同」する、この時期の菊池寛の対外戦略だった。それは、国内的には、軍事拡大路線や神がかった国粋主義の台頭に対抗する意味をもっていた。

『Japan To−day』は、国際日本文化センターが国内の図書館から2点入手。アメリカ図書館ネットワークで発見して、ハーバード大学からコピーを取り寄せて全点を収集ことができた。センターの教員・研究員はじめ多くの人が協力、本書刊行となった。
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荒蝦夷フェア ちょいとリニューアル



(平野)
 今頃になって、大手出版社2社の倉庫被害を聞く。