週刊 奥の院


 
橋爪紳也 「水都」大阪物語 〔再生への歴史文化的考察〕 藤原書店 2800円+税
 

 時代を問わず、水はすべての文明の源である。海でも湖でも良い。湧き水でも池でも河川でも構わない。水と陸とが出会う場所を選んで、先人たちは居を構え、やがて都市を築いた。水は人々の営みをさかんにした。砂漠にあってはオアシスが都市の原点となり、船で運ばれる財は港湾都市を発展させた。大河の畔に国家を支配する者の本拠となる都がしばしば整備されたのは、歴史の証明するところだ。

 大和川と淀川は大坂と奈良・京を結ぶ交通・物流の大動脈。古代の難波津、中世の渡辺津が
内陸部の都につながる港として発達した。難波宮や高津宮が置かれたこともあった。中世には四天王寺石山本願寺門前町ができる。信長・秀吉は地の利に注目。城下町になる。長大な溝が開かれ(東西の横堀川)、宅地割をし、家臣団・町民に分配される。
 徳川時代になると、城修復・城下復興。新しく市街地を開き、寺院を高台の寺町に集結させる。下水溝を整備するなど治水事業。道頓堀ができ、その土砂で低湿地を埋め町屋の支配地にする。ここが船場。物流・経済の中枢として繁栄。「天下の台所」である。モノ・カネが集まり、人が集まり、文化が花開く。
 

 大阪は都市そのものが「港」であった。土地固有の表現に置き換えるならば、大阪そのものが巨大な「浜」の集積であったと言って良いかもしれない。川筋の舟運を通じて、国内各所と結び、海を媒介として西日本、さらには海外と連絡する。大阪は、内と外との境界、海と川との境界、陸と水との境界の地に成立した気宇壮大な「浜」であり、「水の都市」である。

 幕末から明治初期、外国人が水路と中州と丘をみて「パリ」を思う。日清戦争後、工業の発展で「煙の都」と言われ、繊維産業の隆盛で「東洋のマンチェスター」と呼ばれた。また、水路網は「東洋のベニス」とも。
 豊かな歴史と文化をたどり、「水都」再生のヴィジョンを描いてみせる。
序 浜 ――水と陸とが出会う場所から 
第?部 「水の都市」 大阪の誕生
1 島 ――汽水の都 2 山 ――江戸の 「公共事業」 3 都 ――「水都」 というアイデンティティ 
4 災い ――治国在治水 5 新地 ――周縁部としての水辺
第?部 陸と海のあわいで
6 桟橋 ――陸と海との架け橋 7 リゾート ――鉄道と別荘 8 潮湯 ――新しい海水浴 9 楽園 ――都市の余白に描かれた夢 10 夜景 ――水と都市と光 
終 水景 ――「浜」 の再生へ
(平野)