週刊 奥の院


池内紀・文 イッセー尾形・挿画 『シロターノフの帰郷 短篇集』 青土社 1400円+税
 この組み合わせはどういう因縁で生まれたのだろう。ドイツ文学者の短篇(掌編というのか)と俳優の絵――帯には、“演技力ゆたかな”イラストとある。
「銀座百点」連載の「遊びをせんとや」24篇に、プラス1篇。連載時の作者名は「山川大輔」。山・川、大好き?
「へっぽこ大名」
 ご先祖は家康子飼いの武将で大名、明治になってお役御免。当代・松平広正は大手製薬会社の子会社経理課長、住まいは郊外の建て売り。いまだに、神社・寺、それに行事の寄付を求められ、ボーナスがぶっとぶ。水利組合から、かつてご先祖が造営した「堰」の記念祝典に招かれる。その町に行ってみる。商店街はさびれ、カーテンの閉まった店、シャッターの下りた店、「テナント募集」の貼り紙……。教育委員会が作った絵図を見る。めし屋、飛脚屋、小間物屋、髪結い屋などが軒をつらねる。
「今と同じじゃないか。レストラン、宅配便、ブティック、美容院、看板が変わっただけだ」
「テナント募集はなかったみたい」
 後日、組合から分厚い封筒が届く。また寄付か?

表題作「シロターノフの帰郷」
 シロターノフはロシア風スナック「ボルガ」の常連客。
 

なじみの店、なじみのテーブル、なじみの人、どれか一つ欠けてもダメ――というのがシロターノフの口癖だった。一つでも欠けると値打ちが半減、いや、ゼロになる。

 マスター、従業員カオリさん、常連客の良夫。
 

なじみの店となじみのテーブルはどうにかなるにしても、問題はなじみの人である。これがいちばん大切で、また難しい。さりげなく会って、気軽に別れられる。それでいて会っているあいだ、なんとなくうれしくてならず、しばらく会わないでいると、次の機会が待ち遠しい。

 シロターノフはロシア人のような名前だが、レッキとした日本人で、名前は広田行一。それがどうしてロシア人まがいになったのか? 
 江戸っ子のマスターはもともと「ヒ」の音が苦手で、ヒロタがシロタになり、「シロタクン」だった。ある夜、たどたどしい英語の外国人が見せに顔をのぞかせた。うすい髪の、ラムネ玉のような青い目の青年で、手に地図を握っていた。マスター、カオリさん、良夫の三人がかりで対応していたところ、奥にいたシロタクンが口をはさんだ。

 ロシア語だった。青い目の青年は全身で感謝をあらわし、「バリショエ・スパシーバー!(どうもありがとう)」と店を出た。
 シロターノフは「宮仕え」、公務員らしい。ある季節になると予算消化のため遠くに出張させられる。その期間が長くなる。シロターノフから手紙、函館の消印。

「シロターノフは悪行官吏にけりをつけて国に帰りました。缶詰工場の跡取りです。魚の買いつけにナホトカ、ウラジオストック、ニコライエフなどを飛び回っています……」
「どんな手土産を持ってくるのかね。自社製品の缶詰かナ」
 その時みんなで答えることにして、さっそく唇をとがらせ、「バリショエ・スパシーバ……」、やや気どった口調で練習した。

(平野)
 朝日新聞3.26夕刊の記事。「頑張れ」「応援」ばっかりじゃあ、しんどい。1冊の「ジャンプ」を立ち読みさせてあげる本屋さん。エエ話です。http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY201103260109.html