宮本常一とあるいた昭和の日本

宮本


週刊 奥の院 第88号+1の3
田村善次郎・宮本千晴監修 『あるくみるきく双書 
宮本常一とあるいた昭和の日本(8)近畿2』 農文協 2800円+税 全25巻刊行予定
目次

一枚の写真から-川のある風景  宮本常一
奥丹後の海  森本孝
女たちの志摩  谷沢明
吉野の木霊  須藤護
糸の匠―淡路島のダンジリ屋  近藤雅樹
蒲団屋台覚書  近藤雅樹
灘五郷の桶と樽  須藤護
宮本常一が撮った写真は語る  須藤護

 かつて宮本が主宰した日本観光文化研究所近畿日本ツーリストが開設)。ここに若き研究者たちが集まった。その月刊誌『あるくみるきく』(1967〜88)全263号から、日本国内の旅、地方史、文化、祭礼行事などを地域・テーマごとに編集し直す。
「灘五郷の桶と樽」は、神戸の灘から西宮にかけての酒造りに欠かすことのできない桶・樽製造のこと。
 材木商が吉野から樽丸(樽の側面になる板)を買い入れ、酒樽製造業者に供給。木取り業という、樽の底と蓋専門業者がいる。製樽と材木商を兼ねる業者もいる。
 樽屋の親方は資本力があり、大きな力をもっていた。
 

たとえば灘地方で一般に使われていた、清酒を貯蔵するための囲い桶は、三三石入りであった。この清酒を出荷することになると、八〇本あまりの四斗樽が必要である。その四斗樽の注文が酒屋から急にやってくることが少なくなかった。そのような注文がきたら、ただちに樽丸、底、蓋、竹輪を調達して、翌日には八〇本の樽を仕上げて納入するだけの力をもっていた。というよりも、そういう親方でなければ、この地方の樽屋はつとまらなかった、といっていい。

 樽職人は親方が組合に「職工適任證書」を提出して組合の承認を得なければならなかった。この「證書」がなければ職人として働くことができなかった。
 竹を扱う輪竹屋、刃物をつくる鍛冶屋、米・薪の仲買人、樽を包む菰や縄を扱う雑貨屋、銘柄のマークを刷る印屋、それに運送業者などが五郷に集まっていた。
 灘の名酒を支えた桶・樽の特性、そして職人たちの技術を紹介する。
 ここから余談。『ほんまに』第12号で、「金色の蝙蝠 十一谷義三郎」を寄稿してくださった“蝙蝠堂主人”は、実は現役の樽屋さん。こちらを。http://www.taruya.com/
 樽屋さんの仕事の一端を見てみてください。
(平野)


週刊 奥の院 第88号+1の3
田村善次郎・宮本千晴監修 『あるくみるきく双書 
宮本常一とあるいた昭和の日本(8)近畿2』 農文協 2800円+税 全25巻刊行予定
目次

一枚の写真から-川のある風景  宮本常一
奥丹後の海  森本孝
女たちの志摩  谷沢明
吉野の木霊  須藤護
糸の匠―淡路島のダンジリ屋  近藤雅樹
蒲団屋台覚書  近藤雅樹
灘五郷の桶と樽  須藤護
宮本常一が撮った写真は語る  須藤護

 かつて宮本が主宰した日本観光文化研究所近畿日本ツーリストが開設)。ここに若き研究者たちが集まった。その月刊誌『あるくみるきく』(1967〜88)全263号から、日本国内の旅、地方史、文化、祭礼行事などを地域・テーマごとに編集し直す。
「灘五郷の桶と樽」は、神戸の灘から西宮にかけての酒造りに欠かすことのできない桶・樽製造のこと。
 材木商が吉野から樽丸(樽の側面になる板)を買い入れ、酒樽製造業者に供給。木取り業という、樽の底と蓋専門業者がいる。製樽と材木商を兼ねる業者もいる。
 樽屋の親方は資本力があり、大きな力をもっていた。
 

たとえば灘地方で一般に使われていた、清酒を貯蔵するための囲い桶は、三三石入りであった。この清酒を出荷することになると、八〇本あまりの四斗樽が必要である。その四斗樽の注文が酒屋から急にやってくることが少なくなかった。そのような注文がきたら、ただちに樽丸、底、蓋、竹輪を調達して、翌日には八〇本の樽を仕上げて納入するだけの力をもっていた。というよりも、そういう親方でなければ、この地方の樽屋はつとまらなかった、といっていい。

 樽職人は親方が組合に「職工適任證書」を提出して組合の承認を得なければならなかった。この「證書」がなければ職人として働くことができなかった。
 竹を扱う輪竹屋、刃物をつくる鍛冶屋、米・薪の仲買人、樽を包む菰や縄を扱う雑貨屋、銘柄のマークを刷る印屋、それに運送業者などが五郷に集まっていた。
 灘の名酒を支えた桶・樽の特性、そして職人たちの技術を紹介する。
 ここから余談。『ほんまに』第12号で、「金色の蝙蝠 十一谷義三郎」を寄稿してくださった“蝙蝠堂主人”は、実は現役の樽屋さん。こちらを。http://www.taruya.com/
 樽屋さんの仕事の一端を見てみてください。
(平野)