週刊 奥の院 第86号+1の3

砂漠と鼠とあんかけ蕎麦

五味太郎 山折哲雄 『砂漠と鼠とあんかけ蕎麦 神さまについての話』 アスペクト 1600円+税
 絵本作家が宗教学者に質問。
 五味の(あとがき)から。

「神っていったい何ですか?」
 還暦を迎えた男の質問ではあるまい。それに応えて東京で一晩、後に京都で二日、先生は答えに答えてくださった。決して答えの出しようがない問いに対して、答えに答えて下さった。そう、この空気とこの熱を僕は味わいたかったのだと改めて思ったわけだ。

 そもそもは五味が出羽三山を旅して、神道とか宗教に興味を感じていたら、テレビで山折が話していた。
神道とはどういう宗教?」という問いに、「あれは宗教ではありませんから」、「生活の礼節」と軽く答えた。五味は、この人すごい! と「恋に落ちた」。
 本書書名の「砂漠」と「」は目次にある。
「砂漠」―― 山折がイスラエルで、イエスの死までの道のりを歩いた。150キロ、全部砂漠、砂漠、砂漠・・・・・・。
「あー、この地上にはなんら頼るべきものがないんだなあという実感に襲われましたよね。だから、この砂漠の民は、天上の彼方に唯一の価値のあるもの、絶対神を考えざるを得なかったのだと」
 風土は大事。日本列島の豊かな自然は唯一価値あるものを求める必要がない、と。お天道様や天照や阿弥陀如来大日如来の信仰はあっても、すべてを一神に集中する考え方はない。周辺にたくさんの別の神々が存在する。

「鼠」――五味が、ル・クレジオ『調書』に出てくる鼠の命乞いの話をする。命乞いした瞬間に鼠は人間になる。
(山折)「そうすると、人間は恐怖を忘れたら鼠になる、やりたいな、これは」
(五味)「人間になった、鼠になった、人間じゃなくなった、鼠じゃなくなったなどと騒いでいるのは、あくまで人間だけということなんでしょうけど」

で、「あんかけ蕎麦」――京都の蕎麦屋で、山折が食べたのが「あんかけ」で、五味は「天せいろだった。いや、鴨せいろだったかな」
 過激で、ほのぼのとした対談。


(平野)