おっさん アホか通信 他

五味太郎

おっさん アホか通信
 その1.今週、手書き「奥の院」に「もっと奥まで〜」なし。言い訳、店の原稿に外部の原稿が仰山重なり、手付かず。次回たっぷり濃密に。
 その2.先週の「酔っ払い事件後遺症」
 頭頂部にケガあり。毛が薄いからよくわかる。多くの人は「ケガまでしとる、アホ!」と思いつつ見て見ぬふりをしてくれる。約1名、
「頭、ケガしてますよー」
(そうですねん、毛少ないからよう見えるでしょー)

■『本は、これから』岩波新書)を少しずつ読んでいる。今日、絵本作家の五味太郎さんの文章を興味深く読んだ。
 20年前くらいから絵本の世界にその時々のテクノロジーが教育産業から持ち込まれる。磁気テープでナレーションや効果音、次にCD−R。

その技術が先端をすべり始めて、有り体に言えば利用範囲がだんだんなくなって来て、やや苦し紛れに教育、幼児文化あたりにその活路を見出そうともがき始めた頃なんじゃないかと思います。やることが乏しくなってくると幼児、あるいは高齢者に向かうというのはこれまでの産業文化の定石ですから、先端技術も産業文化の担い手として同じ道を辿るわけで、何の不思議もありません。つまり余剰技術ということです。


そして、電子書籍の話。

書籍文化の本質は先端技術の極北に位置していたわけで、そのいわば孤高の存在が、それゆえに余剰先端技術のターゲットになるということ。


出版は印刷、製紙、製本、流通、それなりの先端を行ってきたが、技術の先端ではなく、表現の、あるいは思索、言論の先端を自負してきた。

実は下らない言い方ですが、書籍は技術を売り物にする商品ではありませんよね。あえて技術という言葉を使うならば、それこそもっとも原始的な表現技術なんてものを売り物にしているわけで、それこそ先端技術云々の話ではありますまい。それほど離れた位置にあったはずの書籍に最先端技術がなんとか絡もうとしているのは、その先端技術とやらがすでに終盤に来ているという証です。もっと他のところで遊んでいればよかったものを、もう他は頭打ちなのね。どうやら。

画面上でページをめくる技術は前からあってずっと宙に浮いていたとか、電子書籍がいちばん活躍するのは「書籍のようなもの」の電子化とか……、7ページですが、深く濃い内容です。ご一読を。

■雑誌『世界』1月号から、中村和恵明治大学准教授(英文学・比較文学の連載、「世界の本屋さん」が始まりました。
(平野)