週刊 奥の院 第84号+1の4

川本三郎 『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』 平凡社 1200円+税
 1988年河出書房新社から出版、映画化を機に復刊。来年夏公開。山下敦弘監督、向井康介脚本、妻夫木聡松山ケンイチ主演。
 著者は44年生まれ、「週刊朝日」「朝日ジャーナル」記者を経て、文芸・映画で評論活動。本書刊行時、丸谷才一が書評で「比類のない青春の書。どう見ても愚行と失敗の記録であって、それゆゑ文学的だ」と賞した。
 69年1月、川本は東大安田講堂の前にいた。「朝日」でアルバイトをしていて記者に同行していた。

現場に行っても私には何も出来ないことがわかっていたのではじめは躊躇したが結局「行きたい」という気持が勝った。その朝、六時半ころから機動隊が東大にやってきていた。テレビのニュースがそれを熱っぽく伝え始めていた。“血が騒ぐ”というのか、一刻も早く安田講堂に行って全共闘の学生たちと時空を共有したかった。彼らの痛みを共有したかった。

現場に立つと、逮捕を覚悟した学生たちとの距離の大きさを感じる。 

私は「ジャーナリストお前は誰だ」「お前はただの見るものに過ぎない」と呟き続ける他なかった。

 東大闘争は理工系の学生たちによって開始された。研究がそのまま企業社会、資本の論理に組み込まれてゆくことに「このままでいいのか」と。

全共闘の学生たちが問題にしたのは何よりもこの自らの加害性だった。体制に加担している自分自身を懐疑し続けることだった。事故処罰、自己否定だった。だからそれは当初から政治行動とというより思想行動(原文傍点)だった。何か具体的な解決策を探る運動というより「お前は誰だ?」という自己懐疑をし続けることが重要だったのだ。

 その場に向かいあうことができなくなる。先輩記者に「帰りたい」と告げる。
「帰るのもいいが、苦しいからといって見ていることをやめたらジャーナリストにはなれないよ」と言われる。それでも学外へ出た。

機動隊の前を報道腕章を巻いて歩いてゆく“安全な”自分をまたしても嫌悪した。

 ベトナム戦争連合赤軍三里塚……、「政治の季節」の真っ只中。活動家と単独インタビューしたことで、警察から捜査協力を求められる。本社社会部は協力したが、彼は拒否した。しかし、活動家が逮捕され、著者も証憑湮滅罪で逮捕、会社はクビ。72年1月のこと。
(平野)