週刊 奥の院

多田富雄


週刊奥の院 第53号 2010.4.30
◇またも訃報。
多田富雄『落葉隻語 ことばのかたみ』青土社 1600円+税
 「かたみ」になってしまった。読売新聞連載コラム。続投が決まり、「心地よく書きつないだ」と。
 〔あとがき〕から引く。
 文字通り「落ち葉の一言」であった。といっても、時代に対する危機感いっぱいであった私は、ともすると悲憤慷慨調になってしまった。しかしいうべきことは山のようにあった。
 その時々に思いついたこと、問題になったことを真剣に論じた。
くたびれたけど充実した仕事であった。最終稿を書いているとき、車椅子を押していると、胸に激痛が走り、歩きりと音がした。鎖骨の骨折だった。おそれていた前立腺がんの骨転移だった。

 01年の脳梗塞以来、障害を抱え、がんと闘い、執筆してこられた。診療報酬改訂反対運動の先頭にも立った。
 また〔あとがき〕から。
 折々に書き散らしたものだ。「かたみのことば」ではない。意識してそんなものを書いたわけではない。死期の近い老人が、折に触れて書いたものにはおのずからそんな驚きがあるだろう。死の音を聞きながら書いた雑文だが、言い残したいことがどこかに流れている。したがって「ことばのかたみ」としたのだ。単なる書き散らしに過ぎない。
◇人文社会
■ロミ『突飛なるものの歴史』平凡社 2800円+税
 「突飛なるもの」とは? 神、伝説、空想、魔術、奇行、夢、妖精、芸術、幻想……、「慣習やしきたり、習慣や良識に反した」もの。
 社会の規範・常識というのは、国・時代・民族・宗教によってちがう。
「そもそも知性というものを持ちはじめたとき、人間は自然界の神秘を説明するために、超自然の呪術的世界を造りあげた。眼に見える物質の世界と、眼に見えぬ捉えがたきもう一つの世界とを重ねあわせたのである。慣習や信仰はそうした全くの想像的空間から生まれた。『突飛なるもの』が文明の本質的要素だったのはそれゆえである」
 著者「ロミ」といえば、『乳房の神話学』『おなら大全』『悪食大全』『でぶ大全』などで知られる在野の歴史家。小説も書けば、絵も描く。骨董屋兼画廊主でもあった。1905年北フランス生まれ、95年死去。
 本書は93年作品社から刊行されたもの、よって解説は故人の種村季弘。旧版で削除された部分を復活。
増山麗奈『いかす! アート』白澤社・現代書館 1700円+税
 ド派手コスチューム・カワイイ系反戦アート集団「桃色ゲリラ」主宰、『ロスジェネ』でも活躍。「戦争、商業主義、貧困問題に、エロ&エコで体当たりする若き画家パフォーマー」。
第1章 麗奈タン、自衛隊に監視される!
第2章 戦争、そのとき画家は何を描いたのか
第3章 生きる/生かすアートを求めて
第4章 麗奈的アート革命
「あとがき――祈る」より。
 さて、本当に大転換期だ。私の周りでも「リストラされた」「もう生活保護しかないかも」、など本当にさまざまな悲鳴が聞こえます。ギャラリー、映画館、書店もバタバタつぶれ、愛する文化の危機でもあります。
 こんな時代、まず自分が生き延びなくてはいけないわけなのだが、毎日祈るような気持ちであります。私はどの宗教の信者でもないので祈る時は芸術の神様に向かってなんですが、恥ずかしながらこんなことを祈っています。
「この悲しみに溢れる世界で、人々が安易な憎しみに走るのではなく、知恵を使って危機を乗り越え世界に一つでも多くの綺麗な笑顔が生まれますように」
◇雑誌から
■『芸術新潮』5月号 新潮社 1400円税込
 特集は「ふしぎなマネ」なのですが、私の興味は、小特集「股間若衆 日本近現代彫刻の男性裸体表現の研究」。木下直之東大教授。
 西洋美術の基本「人体ヌード」。男性の「股間」をどう表現するかが、まさに「古今」の日本美術家にとって「沽券」にかかわる大問題であった、と本誌。
 木下教授は、前回紹介した「塩屋百年」の協力者で、ご自身も長く塩屋で生活されていた。
 野外彫刻像の男性の股間である。あるべきものがどうなっているのか。「曖昧模っ糊り」「切断」「面取り」など。「へんなものはおっ立てず、できるかぎり目立たず……」。今もだ。
 1908年(明治41)文展出品、朝倉文夫の男性裸体彫刻《闇》は、官憲によって文字通り「削除」=切断された。私、思わず自分のを押さえた。
 美術家たちは、作品の男女のナニ部分に葉っぱを貼ったり、布を巻いたり。厚紙で葉っぱを作ってピンで止めた人もいる。官憲の目は図録も見逃さない。美術家たちの苦闘の歴史だ。
 日本は古来、性にはおおらかな一面があるのに。
 戦後、朝倉は日展に裸体像《生誕》を出品。これが1964年(昭和39)上野公園に設置される。ようやく日の目を見た。が、現在ない。 
 女性裸体像は「女性蔑視」という意見があるが、男性像は「男性蔑視」とは言われない。論評の対象になっていないらしい。
◇今週のもっと奥まで〜
■『季刊 悦 01』無双舎 950円+税
 「前編書き下ろし 観桜の至福」とある。執筆者は、睦月影郎館淳一、藍川京、牧村僚他、人気作家がずらり。
 団鬼六「創刊に寄せて」。装画・カットは天野喜孝
 さらに「団鬼六賞」創設発表。選考委員は、団と睦月に加え、重松清と郄橋源一郎。
 団の宣言、「SM小説は単なるポルノでは終わらせない、俺が‘文学’にまで高めてやる」。
 小説引用は牧村『卒業』より。参議院議員の書生をしながら大学を卒業した吉永。事務所の責任者麻子に憧れていた。麻子からの祝いに女性をあてがわれるが拒否して、告白。麻子は彼の本心を確かめた後……。紙版を。

◇雑記
(1)前回書くつもりが、すっかり忘れていた『1Q84』ネタ。発売当日「神戸新聞」取材。開店前に行列ができることはなく、こちらも開店時間を早める気などさらさらなく……。カメラマンさん待機するも、天気も生憎で客足少なし。やっと本を手にした女性客がひとりレジに。カメラマン氏「写真を」とお願いするも、「仕事中、用事のついでに来たのもので……」とやんわり拒否。次に男性客、すんなりOK。この方は翌日朝刊に掲載。では当日夕刊は? コメントはわが社が誇る「美貌の文芸クマキ」なのに、写真はどういうわけだか「貧相ひらの」。ゲテモノ趣味の方はこちらを。 www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0002881520.shtml -


(2)そのクマキが『ほんまに』を紹介してくれた。当事者たちは何をしておる。私に内輪話をせよとか。内輪もなにも、ずっと書いているように、遅くなったのはアイツにソイツにコイツのせい。セーラ編集長を困らせる悪い奴らです。折檻してください。
(平野)




週刊奥の院 第53号 2010.4.30
◇またも訃報。
多田富雄『落葉隻語 ことばのかたみ』青土社 1600円+税
 「かたみ」になってしまった。読売新聞連載コラム。続投が決まり、「心地よく書きつないだ」と。
 〔あとがき〕から引く。
 文字通り「落ち葉の一言」であった。といっても、時代に対する危機感いっぱいであった私は、ともすると悲憤慷慨調になってしまった。しかしいうべきことは山のようにあった。
 その時々に思いついたこと、問題になったことを真剣に論じた。
くたびれたけど充実した仕事であった。最終稿を書いているとき、車椅子を押していると、胸に激痛が走り、歩きりと音がした。鎖骨の骨折だった。おそれていた前立腺がんの骨転移だった。

 01年の脳梗塞以来、障害を抱え、がんと闘い、執筆してこられた。診療報酬改訂反対運動の先頭にも立った。
 また〔あとがき〕から。
 折々に書き散らしたものだ。「かたみのことば」ではない。意識してそんなものを書いたわけではない。死期の近い老人が、折に触れて書いたものにはおのずからそんな驚きがあるだろう。死の音を聞きながら書いた雑文だが、言い残したいことがどこかに流れている。したがって「ことばのかたみ」としたのだ。単なる書き散らしに過ぎない。
◇人文社会
■ロミ『突飛なるものの歴史』平凡社 2800円+税
 「突飛なるもの」とは? 神、伝説、空想、魔術、奇行、夢、妖精、芸術、幻想……、「慣習やしきたり、習慣や良識に反した」もの。
 社会の規範・常識というのは、国・時代・民族・宗教によってちがう。
「そもそも知性というものを持ちはじめたとき、人間は自然界の神秘を説明するために、超自然の呪術的世界を造りあげた。眼に見える物質の世界と、眼に見えぬ捉えがたきもう一つの世界とを重ねあわせたのである。慣習や信仰はそうした全くの想像的空間から生まれた。『突飛なるもの』が文明の本質的要素だったのはそれゆえである」
 著者「ロミ」といえば、『乳房の神話学』『おなら大全』『悪食大全』『でぶ大全』などで知られる在野の歴史家。小説も書けば、絵も描く。骨董屋兼画廊主でもあった。1905年北フランス生まれ、95年死去。
 本書は93年作品社から刊行されたもの、よって解説は故人の種村季弘。旧版で削除された部分を復活。
増山麗奈『いかす! アート』白澤社・現代書館 1700円+税
 ド派手コスチューム・カワイイ系反戦アート集団「桃色ゲリラ」主宰、『ロスジェネ』でも活躍。「戦争、商業主義、貧困問題に、エロ&エコで体当たりする若き画家パフォーマー」。
第1章 麗奈タン、自衛隊に監視される!
第2章 戦争、そのとき画家は何を描いたのか
第3章 生きる/生かすアートを求めて
第4章 麗奈的アート革命
「あとがき――祈る」より。
 さて、本当に大転換期だ。私の周りでも「リストラされた」「もう生活保護しかないかも」、など本当にさまざまな悲鳴が聞こえます。ギャラリー、映画館、書店もバタバタつぶれ、愛する文化の危機でもあります。
 こんな時代、まず自分が生き延びなくてはいけないわけなのだが、毎日祈るような気持ちであります。私はどの宗教の信者でもないので祈る時は芸術の神様に向かってなんですが、恥ずかしながらこんなことを祈っています。
「この悲しみに溢れる世界で、人々が安易な憎しみに走るのではなく、知恵を使って危機を乗り越え世界に一つでも多くの綺麗な笑顔が生まれますように」
◇雑誌から
■『芸術新潮』5月号 新潮社 1400円税込
 特集は「ふしぎなマネ」なのですが、私の興味は、小特集「股間若衆 日本近現代彫刻の男性裸体表現の研究」。木下直之東大教授。
 西洋美術の基本「人体ヌード」。男性の「股間」をどう表現するかが、まさに「古今」の日本美術家にとって「沽券」にかかわる大問題であった、と本誌。
 木下教授は、前回紹介した「塩屋百年」の協力者で、ご自身も長く塩屋で生活されていた。
 野外彫刻像の男性の股間である。あるべきものがどうなっているのか。「曖昧模っ糊り」「切断」「面取り」など。「へんなものはおっ立てず、できるかぎり目立たず……」。今もだ。
 1908年(明治41)文展出品、朝倉文夫の男性裸体彫刻《闇》は、官憲によって文字通り「削除」=切断された。私、思わず自分のを押さえた。
 美術家たちは、作品の男女のナニ部分に葉っぱを貼ったり、布を巻いたり。厚紙で葉っぱを作ってピンで止めた人もいる。官憲の目は図録も見逃さない。美術家たちの苦闘の歴史だ。
 日本は古来、性にはおおらかな一面があるのに。
 戦後、朝倉は日展に裸体像《生誕》を出品。これが1964年(昭和39)上野公園に設置される。ようやく日の目を見た。が、現在ない。 
 女性裸体像は「女性蔑視」という意見があるが、男性像は「男性蔑視」とは言われない。論評の対象になっていないらしい。
◇今週のもっと奥まで〜
■『季刊 悦 01』無双舎 950円+税
 「前編書き下ろし 観桜の至福」とある。執筆者は、睦月影郎館淳一、藍川京、牧村僚他、人気作家がずらり。
 団鬼六「創刊に寄せて」。装画・カットは天野喜孝
 さらに「団鬼六賞」創設発表。選考委員は、団と睦月に加え、重松清と郄橋源一郎。
 団の宣言、「SM小説は単なるポルノでは終わらせない、俺が‘文学’にまで高めてやる」。
 小説引用は牧村『卒業』より。参議院議員の書生をしながら大学を卒業した吉永。事務所の責任者麻子に憧れていた。麻子からの祝いに女性をあてがわれるが拒否して、告白。麻子は彼の本心を確かめた後……。紙版を。

◇雑記
(1)前回書くつもりが、すっかり忘れていた『1Q84』ネタ。発売当日「神戸新聞」取材。開店前に行列ができることはなく、こちらも開店時間を早める気などさらさらなく……。カメラマンさん待機するも、天気も生憎で客足少なし。やっと本を手にした女性客がひとりレジに。カメラマン氏「写真を」とお願いするも、「仕事中、用事のついでに来たのもので……」とやんわり拒否。次に男性客、すんなりOK。この方は翌日朝刊に掲載。では当日夕刊は? コメントはわが社が誇る「美貌の文芸クマキ」なのに、写真はどういうわけだか「貧相ひらの」。ゲテモノ趣味の方はこちらを。 www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0002881520.shtml -


(2)そのクマキが『ほんまに』を紹介してくれた。当事者たちは何をしておる。私に内輪話をせよとか。内輪もなにも、ずっと書いているように、遅くなったのはアイツにソイツにコイツのせい。セーラ編集長を困らせる悪い奴らです。折檻してください。
(平野)