kaibundo2010-04-11

■『ケンブリッジ・サーカス』  柴田元幸著/スイッチ・パブリッシング 1800円+税
柴田君が新刊を出すたびに思います。いったいどうやったらそんなに働けるのか、と。東大教授をつかまえて、君付けだなんて馴れ馴れしくてすみません。最初に読んだ本が『佐藤君と柴田君』だったせいで、今も友達みたいに柴田君と言ってしまうのです。当時から東大の先生だったけれど、いかめしい東大のイメージを一新するような若手、の扱いだったのに、今や押すに押されぬ日本を代表する英米文学翻訳者になっちゃいましたねえ。英語圏文学の翻訳物の三分の一は彼の息がかかってるんじゃないかと思うほどよく見かけるし、季刊『モンキービジネス』を主催する一方、小説を書いたりエッセイを書いたり本屋のトークショーもこなしつつ、本職の大学教授をやってるわけだから…。
そんな柴田君の初の紀行エッセイが本書です。生まれ育った東京都大田区六郷のこと、語学留学していたリバプールのこと、バリー・ユアグローと歩くニューヨーク、『シカゴ育ち』のスチュアート・ダイベックと訪ねた京浜工業地帯(柴田君の故郷)など。外国人の作家にとって翻訳者というのは、その国への一番の紹介者なのだから、本音を言ったり素顔を見せたりついしちゃうんでしょうね。柴田君だからこそ聞ける逸話などが楽しい。
話の中に度々登場するのが「亡霊」で、大方はかつての著者自身の姿をしています。バレンタインのチョコをもらった中学2年の自分を、実際には貰っていないのになぜ、と詰問する今の自分。ロンドンの二階建てバスから飛び降りて転んだ自分が、直後に安食堂に入ったせいで30年間を当地でぶらぶら暮らしてしまい、その自分を安食堂に入るな!と見つめる今の本当の自分。過去と現在の自分を双方向から見る視線が、うそも本当もひっくるめて面白い。たくさんの名翻訳は柴田君のこんな頭の中から生まれるのですね。
付録として、丸っちい文字のエッセイが原稿用紙3枚分挟み込まれています。
(熊木)