<新聞>が好きで、株式面以外はくまなく読みます。ひょっとして本より新聞の方が好きかも……。神戸の本屋の店員なので、購読紙は地元紙「神戸新聞」。そして、阪神が気持ちええ勝ち方した翌日に駅売店で買うスポーツ新聞は、神戸新聞の僚紙「デイリースポーツ」です。全国紙は雑誌や本の広告が多いので、店でチェックしてます。
 そして、新聞は生活の役にも立つからエライ! 急な雨には傘がわりに、丸めてゴキブリ叩きに、酔っ払って路上で力尽きた夜には毛布がわりに、毎度おなじみの廃品回収では再生紙に。ムカシは、アルミの弁当箱の包み紙に、五右衛門風呂の焚きつけに、ハナ紙(いまのティッシュペーパーですね)に、さらには汲み取り便所の落とし紙(トイレットペーパーですね)としても活躍していましたし。
 そんな新聞に比べると、<本>はどうもどこか“神聖視”されているというか、実用という面ではまったくの役立たず。せいぜい「枕」がわりになるくらいです(最近買った小熊英二『1968』(下)=新曜社は厚みが5センチちょいなので、昼寝の枕にぴったり!)。

 で、ワタシ、新聞を読む場所としていちばん好きというか落ち着くのはトイレで、1時間近く読んでることもあります。ところが、トイレに新聞や本を持ち込むのを激しく嫌う(憎む)人が家にひとりいまして……。本のページを繰る音は静かなのでバレにくいんですが、いかんせん新聞はめくったり折ったりする際に悲劇的な音を発しますので即刻発覚してしまい、厳しい叱責を受けることになります。この件以外はいたってアバウトな人なのになんでトイレ読書・読紙をそんなに忌み嫌うのか、四半世紀を超えて一緒にいるのにいまだに謎であります。
 さて、あさって30日は4年ぶりの衆院選の投票日。新聞紙上でも連日選挙関連の記事が踊っていて、トイレで息をひそめて読む時間も格段に長くなりました(つまり、カミさんに嗅ぎつけられる確率が格段に高まったということです)。

ムカシは納税額の多寡や性別によって有権者が選別されていましたが、イマは日本国籍があれば漢字を読めないけど御曹司(ボンボン)で大金持ちの総理大臣も1票、一応漢字は読めるけど金がないワタシもおんなじ1票を持っています。これはすばらしいことで、憲法が保障するこの権利は行使しないと(参政権がない数多くの永住外国人の思いも込めて)。100年後の世界やこの国がどうなっているかはわかりませんが、100年後に投票したくともそもそも現在の有権者はその時にはほぼこの世にはおらんのですから。問題は“いま”なわけです。
もっとも政権がどう変わろうと、階級闘争や大衆運動や市民活動が普段から不断におこなわれていることこそがたいせつで、何年かに一度の選挙(結果)だけに矮小化してしまうのはどうかとも思いますが、生きているただいま現在の1票を入れたいと思います。当日は、世界でいちばんかわいい犬「テツ」の散歩がてら投票に行ってきま〜す。

 ま、本屋の店員の立場からいうと、総選挙を機に右から左から・上から下から・はたまた前から後ろから(?)政治家のスキャンダルを暴く週刊誌やら、ちょいと深く突っ込んだ月刊誌やら、硬軟ないまぜの政治関連本やらがレジに行列ができるほどたくさんたくさん売れてくれればいいなぁ……と。思想の自由、表現の自由言論の自由のるつぼ(体現の場)であるのが本屋ですもの。


(福岡)