神戸の本 『風見鶏 謎解きの旅』

風見鶏


 ■広瀬毅彦『風見鶏 謎解きの旅』/神戸新聞総合出版センター 1700円+税
 北野町「風見鶏の館」は「旧トーマス邸」とカッコ書きされるように、ドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマスさんが初代所有者。横浜で成功した後、1902年神戸に。当初は山本通に居住。邸宅の設計は、同じく横浜で建築事務所を開いていたポーランド生まれのドイツ人ゲオログ・デラランテさん。彼は旧オリエンタルホテルの設計者でもある。05年完成して、一家は転居した。
 ここで、問題。現在神戸市が所有・管理している重要文化財だが、市の公式解説では完成した年が1909年になっている。広瀬さんはドイツで調査し、トーマス家の長女エルザさんの証言を得ているし、デラランテの建築資料も検証したうえで、市に訂正を要求している。
 トーマス家と邸宅の悲しいお話。1914年、エルザさんが本国の学校に進学するのに合わせて一家は久々に里帰りをする。滞在中に第一次世界大戦が勃発、トーマスさんは徴兵され、一家が日本に戻ることは叶わなかった。邸宅がどうなったのか詳細は不明だが、敵国人所有物として没収されたらしい。北野にあった「トアホテル」の別館として使われたこともあるが、長い間、住む人はいなかったようだ。
 1977年放送のNHKのドラマ「風見鶏」は「フロインドリーブ」の創業者をモデルした物語で、神戸の異人館が一躍有名になったのだが、史実とドラマがごっちゃになってしまったのではないか。
 広瀬さんは、探し出した古い北野の風景写真や建築資料を見て、都市政策によって街の雰囲気が変貌してしまったことを残念に思う。
 「生身のドイツ人たちのその後の運命を考えれば、やはり神戸、そして日本のために、はるばる遠くドイツから危険覚悟で来日し、働いてくれた故人の業績は、正しく伝えるべき」と本書を出した。
 誰もが知っている「風見鶏の館」が、ほんとうは誰にも知られていなかった。
 広瀬さんは現在ドイツ在住で、園芸団体の役員を務める。芦屋の実家に「芦屋れんが博物館」を開設して、ヨーロッパの古いれんがを蒐集・展示している。
 (平野)


 ■広瀬毅彦『風見鶏 謎解きの旅』/神戸新聞総合出版センター 1700円+税
 北野町「風見鶏の館」は「旧トーマス邸」とカッコ書きされるように、ドイツ人貿易商ゴットフリート・トーマスさんが初代所有者。横浜で成功した後、1902年神戸に。当初は山本通に居住。邸宅の設計は、同じく横浜で建築事務所を開いていたポーランド生まれのドイツ人ゲオログ・デラランテさん。彼は旧オリエンタルホテルの設計者でもある。05年完成して、一家は転居した。
 ここで、問題。現在神戸市が所有・管理している重要文化財だが、市の公式解説では完成した年が1909年になっている。広瀬さんはドイツで調査し、トーマス家の長女エルザさんの証言を得ているし、デラランテの建築資料も検証したうえで、市に訂正を要求している。
 トーマス家と邸宅の悲しいお話。1914年、エルザさんが本国の学校に進学するのに合わせて一家は久々に里帰りをする。滞在中に第一次世界大戦が勃発、トーマスさんは徴兵され、一家が日本に戻ることは叶わなかった。邸宅がどうなったのか詳細は不明だが、敵国人所有物として没収されたらしい。北野にあった「トアホテル」の別館として使われたこともあるが、長い間、住む人はいなかったようだ。
 1977年放送のNHKのドラマ「風見鶏」は「フロインドリーブ」の創業者をモデルした物語で、神戸の異人館が一躍有名になったのだが、史実とドラマがごっちゃになってしまったのではないか。
 広瀬さんは、探し出した古い北野の風景写真や建築資料を見て、都市政策によって街の雰囲気が変貌してしまったことを残念に思う。
 「生身のドイツ人たちのその後の運命を考えれば、やはり神戸、そして日本のために、はるばる遠くドイツから危険覚悟で来日し、働いてくれた故人の業績は、正しく伝えるべき」と本書を出した。
 誰もが知っている「風見鶏の館」が、ほんとうは誰にも知られていなかった。
 広瀬さんは現在ドイツ在住で、園芸団体の役員を務める。芦屋の実家に「芦屋れんが博物館」を開設して、ヨーロッパの古いれんがを蒐集・展示している。
 (平野)