それでも日本人は「戦争」を選んだ

 ■『それでも日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子朝日出版社 1700円+税
 東大教授が歴史研究部の中学生と高校生15名に「近代の戦争をめぐる日本史」を、5日間講義。
 最初の話は、9.11テロの新しい戦争の「かたち」から。旅客機をハイジャックしたテロリストが、宣戦布告なしに多くの非戦闘員を殺害した。アメリカから見ると、国内の無法者が市民を皆殺しにしたのだから、国家権力によって鎮圧する対象。国と国の戦争なら、それぞれが戦争の正当性を主張するが、この時のアメリカは、戦いの相手を、戦争の当事者として認めていない。かつての日本でも同様のことがあった。1937年7月、盧溝橋事件から日中全面戦争、近衛内閣が出した声明は「爾後、国民政府を対手とせず」。39年には、日本軍は戦争ではなく条約違反に対する「報償」=仕返しと、戦闘行為を正当化する。さらに、「討匪戦」=不法行為者をやっつける、と表現する。「戦争ではない」と、戦いの相手を認めなかった。
 指導者や軍隊だけではない、多くの日本人がなぜ、そうまでこじつけて「もう戦争しかない」と思ったのか? 当時の国際関係、地域秩序、当該国家や社会への影響、また戦争の前後での変化など、生徒たちにリーダーや国民の立場になってもらい、戦争の時代を考える。
 序章 日本近代史を考える
 1章 日清戦争 「侵略・被侵略」では見えてこないもの
 2章 日露戦争 朝鮮か満州か、それが問題
 3章 第一次世界大戦 日本が抱いた主観的な挫折
 4章 満州事変と日中戦争 日本切腹、中国介錯
 5章 太平洋戦争 戦死者の死に場所を教えられなかった国
 
 私、この時点でまだ序章しか読んでいない。著名歴史家の「問い」と研究から、歴史研究の面白さを教えてくれる。リンカーンの有名な演説「人民の〜」の思想が憲法の前文に書かれていること。戦争は国家間の関係において、主権や社会契約に対する攻撃=憲法に対する攻撃、というかたちをとる、とルソーが考えていたこと(これについては佐藤優さんも書いていた)。ロシア革命後、レーニンの後継者にトロツキーではなくスターリンが選ばれたのは、フランス革命が軍事的天才・ナポレオンによって変質した歴史に学んだから。ベトナム戦争アメリカの指導者が泥沼にはまったのは、第二次大戦後の中国共産化という「中国喪失体験」が原因だった。どれもこれも、私には、目から鱗の話題ばかり。頑張って読みます。
 (平野)