人文・社会 小熊英二の新刊

 ■『1968 <上>――若者たちの叛乱とその背景』小熊英二/新曜社・6800円+税
 出たでー! 小熊英二さんの新刊です。A5版上製1092頁。
 (著者のことば)より
 本書は、「一九六八年」に象徴される「あの時代」、全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的にあつかった、初の研究書である。
 これまで、「あの時代」を語った回想記などは大量に存在したが、あの叛乱が何であったのか、なぜ起こったのか、なにをその後に遺したのかを、解明した研究はなかった。その一因は、あの叛乱が当事者たちの真摯さとはアンバランスなほどに、政治運動としては未熟だったためだと思われる。そのためあの叛乱は、当事者の回想記などではやや感傷的に語られる一方、非当事者からは一過性の風俗現象のように描かれがちだった。
 そこで著者はあの叛乱を、政治運動ではなく、一種の表現行為だったとする視点から分析を試みた。すると、さまざまなことが明らかになってきた。
 「あの時代」は、それまで発展途上国であった日本が、高度成長によって先進国に変貌する転換点だった。
 貧困・戦争・飢餓といった途上国型の「近代的不幸」が解決されつつあった一方で、アイデンティティの不安・リアリティの稀薄化・生の実感の喪失といった先進国型の「現代的不幸」が若者を蝕みはじめた日本初の時代だった。
 そのなかで若者たちは、政治的効果など二の次で、機動隊の楯の前で自分たちの「実存」を確かめるばくゲバ棒をふるい、生の実感を味わう解放区をもとめてバリケードを作った。
 本書が二〇〇〇年代のいま、「あの時代」をとりあげる意義はここにある。「あの時代」の叛乱を、懐古的英雄譚として描くなら現代的意義はない。現代の私たちが直面している不幸に最初に直面した若者たちの叛乱とその失敗から学ぶべきことを学び、彼らの叛乱が現代にまで遺した影響を把握し、現代の私たちの市を照射すること。本書の目的はそこに尽きる。
 
 上巻では、戦後の時代的・文化的背景から始まり、各大学の闘争、安田講堂の攻防まで。
 下巻は7月末予定。
 当店で最初に本書を買った人は、何を隠そう我がF岡店長であります。
 エライ、さすが酔っ払っても考える店長です。
 皆さん、次回の「店長日記」が楽しみでっせー。「店長日記」は毎月第4金曜日に掲載されます。
 (平野)


 ■『1968 <上>――若者たちの叛乱とその背景』小熊英二/新曜社・6800円+税
 出たでー! 小熊英二さんの新刊です。A5版上製1092頁。
 (著者のことば)より
 本書は、「一九六八年」に象徴される「あの時代」、全共闘運動から連合赤軍にいたる若者たちの叛乱を全体的にあつかった、初の研究書である。
 これまで、「あの時代」を語った回想記などは大量に存在したが、あの叛乱が何であったのか、なぜ起こったのか、なにをその後に遺したのかを、解明した研究はなかった。その一因は、あの叛乱が当事者たちの真摯さとはアンバランスなほどに、政治運動としては未熟だったためだと思われる。そのためあの叛乱は、当事者の回想記などではやや感傷的に語られる一方、非当事者からは一過性の風俗現象のように描かれがちだった。
 そこで著者はあの叛乱を、政治運動ではなく、一種の表現行為だったとする視点から分析を試みた。すると、さまざまなことが明らかになってきた。
 「あの時代」は、それまで発展途上国であった日本が、高度成長によって先進国に変貌する転換点だった。
 貧困・戦争・飢餓といった途上国型の「近代的不幸」が解決されつつあった一方で、アイデンティティの不安・リアリティの稀薄化・生の実感の喪失といった先進国型の「現代的不幸」が若者を蝕みはじめた日本初の時代だった。
 そのなかで若者たちは、政治的効果など二の次で、機動隊の楯の前で自分たちの「実存」を確かめるばくゲバ棒をふるい、生の実感を味わう解放区をもとめてバリケードを作った。
 本書が二〇〇〇年代のいま、「あの時代」をとりあげる意義はここにある。「あの時代」の叛乱を、懐古的英雄譚として描くなら現代的意義はない。現代の私たちが直面している不幸に最初に直面した若者たちの叛乱とその失敗から学ぶべきことを学び、彼らの叛乱が現代にまで遺した影響を把握し、現代の私たちの市を照射すること。本書の目的はそこに尽きる。
 
 上巻では、戦後の時代的・文化的背景から始まり、各大学の闘争、安田講堂の攻防まで。
 下巻は7月末予定。
 当店で最初に本書を買った人は、何を隠そう我がF岡店長であります。
 エライ、さすが酔っ払っても考える店長です。
 皆さん、次回の「店長日記」が楽しみでっせー。「店長日記」は毎月第4金曜日に掲載されます。
 (平野)