人文・社会 ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」

 ■『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』高瀬毅/平凡社・1600円+税
 著者は1955年長崎生まれ。元ニッポン放送記者、ディレクターで現在はフリーのジャーナリスト。母上が被爆している。
 「『僕』はなぜ生まれてきたのか。なぜ、この両親のもとに誕生したのか。自分で選びとることのできない『運命』があるとすれば、生まれえなかった『運命』もある。『僕』はこの世に生まれなかったかもしれない。その可能性は、かなり高い確率であったのだ。しかし『偶然』につぐ『偶然』がいくつも重なって、母が辛うじて助かり、十年後に『僕』が生まれた。そんな話はあの町にはいくつもあり、生まれることもできなかった『僕』『私』の話も無数に落ちている」
 長崎が被爆したのは、歴史の偶然だろうし、著者の母上が助かったのも偶然だろう。しかし、被爆は事実だ。
 原爆は上空500メートルで爆発した。その真下に現在公園がある。そこに、爆心地の碑があり、赤レンガの壁が残っている。ここにあった浦上天主堂の残骸だ。現在の浦上天主堂は戦後場所を移して再建されたもの。浦上はキリスト教とともにあり続けた土地。弾圧され、隠れキリシタンとして信仰を守り通した。その歴史まで吹き飛ばされてしまった。
 当時の写真が残る(本書P21)。窓のある壁、黒く焼けたマリア像、首のない使徒たちの像など。
 市は当初、この廃墟を保存することにしていた。が、58年取り壊された。
 なぜ? 
 著者は謎を追う。市長の渡米、アメリカの都市との姉妹提携、教会の動きなど。また、取り壊しが始まってすぐ、市役所が火事に遭い、議事録、録音テープ、写真など重要書類は焼失している。巨額の寄付金もあったらしい。一体、何があったのか。
 フランスの東洋研究家は語る。広島の原爆ドームは、単なる観光的意味だけでなく、記憶の根拠として広島の再建の中心軸になった。もし、長崎の天主堂の廃墟が残されていたら、同じメッセージを伝えることができたろう。
 歴史の継承が、なんらかの意志によって阻止された。
 広島・長崎の被害の比較ではない、最初と2番目というだけでもない、悲劇の「差」というような、イメージが確かにある。
 (平野)