週刊 奥の院 9.18

■ 石塚公昭 人形・写真 『泉鏡花 貝の穴に河童の居る事』 風濤社 2200円+税 
 鏡花生誕140年。
 人形作家が鏡花の短篇をビジュアルブックに構成。
 河童赤沼の三郎」は久しぶりのよい天気で、沼から浜に出る。磯で遊ぶ一行の中に美しい娘がいた。
「清(すずし)い、甘い、情のある」声。
「中肉にむっちりと、膚つきが得う言われぬのが、びちゃびちゃと潮へ入った。」
「その脛(はぎ)の白さ、常夏の花の影がからみ、……淡い膏(あぶら)も、白粉も、娘の匂いそのままで、……一波上るわ、足許へ。あれと裳(もすそ)を、脛がよれる、裳が揚る、紅い帆が、白百合の船にはらんで、青々と引く波に走るのを見ては、何とも、かとも、……」
 娘に見とれているうちに気配を感ずかれ、三郎は貝の穴に隠れる。その穴に、同行の宿屋の番頭がステッキを突っ込んで、三郎重傷を負う。
 三郎、森の社の姫神様に復讐を願い出る。神職の翁が取り次ぐ。
 復讐の相手は行楽客の3人――亭主(お囃子の笛吹)、女房(踊りの師匠)、娘(師匠仲間の娘)。番頭にはその場で仕返しずみ。
神職)「おおよそ御合点と見うけてたてまつる。赤沼の三郎、仕返しは、どの様に望むかの。まさかに生命を奪ろうとは思うまい。厳しゆうて笛吹は眇(めかち)、女どもは片耳殺(そ)ぐか、鼻を削るか、蹇(あしなえ)、跛(びっこ)どころかの――軽うて、気絶(ひきつけ)……やがて、息を吹返さすかの。」
 三郎は、血だらけの大魚を座敷に投げ込めればと言うが、神職姫神も、大きすぎ重たすぎ、そこまでせずとも、と。
 姫神「少しばかり誘をかけます……」

 唯(ト)、町へたらたら下りの坂道を、つかつかと……わずかに白い門燈を離れたと思うと、どう並んだか、三人の右の片手三本が、ひょいと空へ、揃って、踊り構えの、さす手に上った。同時である。同じように腰を捻った。下駄が浮くと、引く手が合って、おなじく三本の手が左へ、さっと流れたのがはじまりで、一列なのが、廻って、くるくると巴に附着(くッつ)いて、開いて、くるりと輪に踊る。花やかな娘の笑声が、夜の底に響いて、また、くるりと廻って、手が流れて、褄が翻(かえ)る。足腰が、水馬(みずすまし)の刎ねるように、ツイツイツイと刎ねるように坂くだりに行く。……いや、それがまた早い。娘の帯の、銀の露の秋草に、円髷の帯の、浅葱に染めた色絵の蛍が、飛交って、茄子畑へ綺麗にうつり、すいと消え、ぱっと咲いた。

 3人は酔ったように町中を踊り歩く。そして、森の社で……。
「そこに……何を見たと思う。」
 鏡花は何とは書いていないが、石塚の写真は血だらけの大魚
 さて、3人、宿に戻って、社に向かって、
「慎み深く、手をつかえて、ぬかずいた。」

「あとがき」より。

……主役の河童の三郎は、潔癖症の鏡花がいかにも嫌がりそうなベトベトと生臭く、けっして可愛らしいとはいえない存在にするつもりでいたが、制作で一年もつきあっていると、佳境に入る頃には愛らしく見えてきて。
(鏡花の盟友・柳田國男神職の翁にした)
……鏡花は三郎に対して好色でお調子者という、一般に伝わる河童のイメージに準じ楽しげに筆を走らせているが、“妖怪は神の零落した姿”と考える柳田は本作について「河童を馬鹿にしてござる」といささか不満があったようである。だからこそ、自分勝手な仇討ちを願い出る三郎に対し、終始愛情深い眼差しで接する翁であるよう心がけた。

 写真に、人形ではなく人間が7人登場する。みな、石塚が酒場で顔を合わせる常連客や近所の人たち。それぞれが楽しく演じている。


◇ うみふみ書店日記
 9月17日 火曜
 週末からの台風でも、「閉店バブル」は冷めず。これだけのお客さんを掘り起こせなかったことが今更ながら残念。
 軽半身LMS(わかる人はわかってね)のSさんは、私が勝手にGF登録して○年、あの頃確か10代だった? 日記を読んでいただいているそうで、ありがとう。
 
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(平野)