週刊 奥の院 9.15

■ 黒川創編 『鶴見俊輔コレクション3 旅と移動』 解説 四方田犬彦 河出文庫 1400円+税 
Ⅰ 旅のはじまり  中浜万次郎――行動力にみちた海の男  暗黙の前提一束  都会の夢  ある帰国
Ⅱ それぞれの土地を横切って  国の中のもうひとつの国  グアダルーペの聖母  エル・コレヒオでの一年を終えて  北の果ての共和国――アイスランド ……
Ⅲ 旅のなかの人  メデルの思い出  いわきのNさん  難民を撮り続けたもう一人の難民――キャパの写真を見て  蒐集とは何か――柳宗悦 ……
Ⅳ 自分からさかのぼる  わたしが外人だったころ  水沢の人  黒鳥陣屋のあと  宿直の一夜 ……

中浜万次郎
 1841年1月27日、万次郎(中ノ浜生まれ、14歳)と4人の漁師(宇佐生まれ)の乗った舟が嵐で流されてしまう。2月4日無人島に漂着。食料集めにかけまわる。

……とくに万次郎は、機敏なのでおおいに働いたが、かれだけがほかの四人とちがって宇佐のうまれではなく、それにいちばん年も若いので、みなにバカにされることも多く、それに憤慨して、とってきた食料をほかのものにやらないと言って抗議したこともあった。五人しかいない島の生活では、一人の力が欠けても、困ったことになる。五人の社会は、かれらの生まれそだった徳川時代の日本の社会とははっきりとちがう、平等な形のものにかわっていった。
 一四歳の万次郎は、だんだんに、みんなに重んじられるような存在になってゆく。


 島に来て143日目、アメリカの捕鯨船が島に近づく。砂の中にあるウミガメの卵が目的。
 ここで鶴見は言語学者から聞いた話をはさむ。人類学者が離島で住民の研究をしようとしたが、どうしても住民に自分の言葉をわからせることができなかった。住民は学者のことを同じ人間だと考えなかったから。

……相手を同じ人間だと考えるところからは、なんとかして、自分の身にひきくらべて、相手の音や身ぶりの意味を考えてゆくから、おたがいの言葉など全然知らないなりに、言葉は通じてゆくものなのだ。

 万次郎たちとアメリカ人船員は「相手を同じ人間と見る心があった」。

……それは、人間にとってあたりまえのことではない。人類が地上にあらわれて以来、人類はほかの動物とちがって、ちがう土地にそだった人間を、自分たちと同じ人間と考えないで、殺したり、追いはらったりする習慣をつくりだしてきた。このことは、今でも人類にとってもっとも深刻な思想上の問題だと言ってよい。戦争の時にはいろいろの理由をつけて、たたかっている当の相手でない子ども、女、年寄りまでも殺すというやりかたを、今でもつづけている。……

 声をあげ身ぶりで助けを求めるもの、助けようとするもの、それぞれに気持ちが伝わる。5人は救助された。船は半年ほど太平洋上をまわり捕鯨。万次郎はすすんで働き、必要なことを覚え、自然に通訳役になる。ハワイに着くとハワイ政府は小さな小屋をくれる。4人はここに住み着く。
 万次郎はホイットフィールド船長に信頼され、マサチューセッツ州フェアヘイブン、彼の家で下宿。働きながら勉強、16歳で小学校教育を受け、さらに船員の知識を学ぶ中等教育、高等教育も。町で日本人少年は有名になり、のちに万次郎は日本でプリンス(公爵か王子の意味か不明)になったという伝説も。
 鶴見は、万次郎が航海中の船長に送った手紙を紹介する。文法上のまちがいはあるが、その文章を書くことはむずかしいし、さらに元になった体験をもつことはもっとむずかしい、と。堂々と命の恩人に「おお、私の友よ」と呼びかける態度には「卑屈さ」がない。捕鯨船の補給根拠地のために日本に開国をすすめたいと意見を述べる。

……友人のつきあいがたいせつだという価値観とともに、万次郎の政治思想の重要な部分をなしている。万次郎に社会思想があるとすれば、それは捕鯨という職業そのものから育った、国籍をこえて人間どうしが助け合うという思想だった。

 万次郎は捕鯨で得た大金を金鉱さがしにつぎ込み、増やす。ハワイにいる漂流仲間と帰国するための捕鯨ボート(親船で近海まで行き、このボートで上陸)、羅針盤などを買う。牧師が募金を呼びかけてくれた。ボートの名は「冒険号」。万次郎と3名が51年12月17日ホノルルを出発。
 出発前に船長に出した手紙。

 小さい少年のころから青年になるまで私を育ててくださったあなたの慈愛を、私はけっして忘れません。私は今まで、ご親切にこたえることを何もしたことがありません。(帰国することを詫びる)しかし、この変わりゆく世界からなにか善いことが起こるであろうことを、私は信じます。……

 四方田の解説より。

……ただ一人、アメリカ合衆国へと学びにいくジョン万次郎の孤独。ただ一人、ハーヴァード大学から獄舎へと向かわされる鶴見俊輔少年の孤独。この二つの孤独は、帰属の不可能と個人主義による判断の二点において、互いに共鳴しあっている。彼らはともに、母語である日本語からあまりに遠ざかってしまったため、そこに回帰するために人知れぬ努力を払わなければならなかった。だが逆に、それゆえに日本語が暗黙裡に発話者に強いてくる地面性の魔、日本的なイデオロギーから距離をとることができ、その距離を批評的なものとして提示することができた。……


◇ うみふみ書店日記
 9月13日 金曜
 作家碧野圭さん、無理やり神戸に用事を作って来店。観光もしたいと買ったガイドブックに【海】が1ページ。「神戸らしさピカイチの総合書店」。
 碧野さんいわく「そういう本屋が神戸からなくなってしまうのだよ」。
 碧野さんの知り合いの書店員さんが何人も【海】を訪問してくださっているそう。どうぞお名乗りくださいな。
 
 NR出版会の野獣ども(失礼、紳士淑女さまがた)9名さんご来店。
 アカヘルら若手書店員たちの「10年後、本屋でメシが食えるのか」から3年しか経っていない。この時に業界は気づくべきだった。と、S泉社のYさん。
 みなさんがお別れに来てくれてうれしい。呑み会突入。
 NRの華・Kさん、11日に無事男の子出産。めでたい。孫みたいな感じ。祝福せよ。


 9月14日 土曜
 13日から「神戸新聞」に「海よ、さらば〜」連載開始、全3回。
 http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201309/0006333669.shtml
 「ちょっといい話」風になってしまうのは仕方ないのか?
 
 仏教書D閣のYさん、プライベートで13日【海】に。ブログの「週刊奥の院」は「日刊」ではないのか、と指摘される。今更いいんでないかい?
 今日は大阪・桃谷で呑み会。Yさん、K放出版社Tさん、T方出版Iさん、Kさん。高架下の看板もない倉庫のようなお店でお鍋。ディープ大阪の一面を体験。

(平野)