週刊 奥の院 9.9
■ 内堀弘 『古本の時間』 晶文社 2200円+税
1954年神戸生まれ。東京・石神井の詩歌専門の古書店「石神井書林」店主。店売りではなく目録販売。著書、『石神井書林目録』(晶文社)、『ボン書店の幻――モダニズム出版社の光と影』(ちくま文庫)。
Ⅰ 降ってくる“虹の破片”を買って
日録・殿山泰司と沢渡恒 神保町と山口昌男さん テラヤマを買う ……
Ⅱ まるで小さな紙の器のように
吹きさらしの日々 日記の中の古本屋 ちくまの古本屋 ……
Ⅲ 驚くような額を入札し、それでも買えない
古本の時間 四十一年前の投稿欄 ドン・ザッキーの背中 追悼・田村治芳 ……
コラム 古書肆の眼・日録
「まるで小さな紙の器のように――詩集の古本屋」より。
「詩集の古本屋」といえば西の黒木、東の鶉屋。もう閉じてしまった店だけど、私の中では今もそのままだ。
神戸の黒木書店を初めて訪ねたのは一九八〇年の夏だった。
小さな店のわりには大きな硝子ケースが奥にあって、西脇順三郎の『Spectrum』と瀧口修造の『妖精の距離』がさりげなく並んでいた。さりげなく見えたのは硝子ケースが古めかしかったのと、なによりも私がものを知らなかったせいだ。あの二冊は誇らしげに並べられていたのだと、私はずっと後になって気づいた。……
黒木書店に行くとき、私はいつも三宮から後藤書店やあかつき書店をのぞきながら元町まで歩いた。わりと距離はあって、賑やかな人通りがいつのまにか閑散としてくると、気がつかないうちに通り過ぎたかなと心配になった。ふと立ち止まるのだけど、いつだって店はまだ先なのだ。
鶉屋、中村、わかば、土屋もそうだ。詩集の古本屋は、いつもはずれの、もう少し先にある。
書名になった文章は、2010年1月30日31日のもの。
30日、京都の入札会で明治の雑誌がまとまって出品される。
古い本のある場所にはとりあえず出かけていくのが仕事だが、あれもこれも落札できるわけではない。それでも見ておくことが大切なのだと、駆け出しの頃にそう教えられた。……
その日の目玉は、明治25年に与謝野鉄幹が1号だけ出した『鳳雛(ほうすう)』。
「古書の世界では伝説的な稀本」で、『透谷全集』編者の勝本清一郎は、透谷の寄稿があると知って25年かけて探し出した。
今では、明治文学がかつてのように騒がれることもない。『鳳雛』が出るといってももう話題にもならないが、風花のような冊子を二十五年も追い続けた人の執念だけは覚えておこうと思う。
31日、ブックイベント。
「西荻ブックマーク」で『彷書月刊』田村治芳編集長(なないろ文庫ふしぎ堂)とイラストレーター・浅生ハルミンの対談。
『彷書月刊』は1985年に古本屋仲間がはじめた雑誌で、内堀も立ち上げに加わっていた。ある出版社が『管野須賀子全集』を不採算と見送ったところ、若月(自游書院)が嘆き、自分たちで作ろうと言い出す。社是は「各自生活手段は別途確保」。「全集」は赤字、カバーするはずの『彷書月刊』も……。
それでも彼は、稼ぐのは幸せではない、稼いだ金の遣い場所を持っていることが幸せなのだと言うのだった。
『彷書月刊』は2010年休刊、田村は11年1月死去。
さて、対談。浅生は田村の店でアルバイト経験がある。
「売れそうもない本ばかりがあって面白かった」という彼女の言葉にはけれんみがない。なるほど、売れそうもない本や雑誌を懸命に作る人もいれば、何十年かの後にそれを並べて売っている人がいる。そして、どこかでずっと探している人もいる。
古本の周りを流れる時間は、なんだかひどくゆっくりしていて、それも幸せのうちなのだろうか。
◇ うみふみ書店日記
9月8日 日曜
朝、雨で今日はヒマかなと思っていたら、昼過ぎからお客さんがいっぱい。
遠方からの方も多い。新聞のおかげでの【海】写真集予約も。
編集者Yさんが、フェア「いっそこの際好きな本」私の8冊を買ってくださるなど、もう平台ガタガタ。学校図書館のKさんはPOPを一枚一枚撮影。
「ちんき堂」の少年文学全集も追加2度目。女性に人気。
(平野)