週刊 奥の院 9.7

■ 黒井千次 『漂う  古い土地 新しい場所』 毎日新聞社 1600円+税 
 毎日新聞夕刊連載(2010.4〜2013.3)。
 黒井千次、1932年東京生まれ。1987年から2012年まで芥川賞選考委員、25年間皆勤。
「プロローグ 記憶の光景と目の前の眺め」より。
 人は土地の上で暮らしている。広い世界には水上生活もあるし、大都会なら高層住宅もある。地下で一日の大半を過ごす人もいるだろう。

……しかし一方、やはり多くの人々は、土地からあまり離れることなく日を過ごしている。そしてどこのいかなる土地で暮すかは、生活の基本条件であると同時に、その人の成長や成熟にも関わっているに違いない。

 黒井は50代初めに、どれくらい住む土地を移り、いくつくらいの家で暮したのか数えてみた。子供時代は父の転任や疎開、就職してからの転勤など、19回移転していた。
 どの土地にも家にも記憶や思い出がある。長い短いではない。「土地の佇まいや家屋の雰囲気」が何かのきっかけで蘇ってくることがある。反対に、記憶を辿って訪れた場所が全く別の空間となって現れて衝撃を受ける。記憶にある光景と眼前の眺め、どちらを信じようとするのだろう?

……自らの中に眠っているのがその土地の本来の姿なのであり、目に映っているのは仮の姿、偽りの面影、素顔を隠すための紗の幕に被われた像に過ぎない、と考えたがるのではあるまいか。

 しかし、現実の場所はもう違っている。自分にとって虚構と思える光景が、今の子供たちにとってはやがて「原風景」として貯えられていく。

……そんなふうにして人は変化の中を生きてきたのであり、古いものと新しいものとの間を漂って来たのだろう。別の見方をすれば、失われたもの、今在るもの、更にこれから現れるものに思いを馳せることこそが、生きることの中身を作っていく営みとなる。土地という空間と、歳月という時間との交差するドラマをもし眺めることが出来るなら、人はそこに蠢く自らの姿を影絵のように捉え得るかもしれない。
 そう念じながら、古い土地と新しい場所を訪れてみたい、と考えている。

 大久保通り、丸の内、新宿、箱根、京都、大阪・通天閣、横浜、小樽、仙台、広島、長崎……、35の旅。神戸もある。
「神戸  急な長い坂道の先に」
「前に訪れたのは確かなのに、それがいつ頃で、どんな機会であったかが思い出せない土地というものがある」
 神戸がそのひとつ。東日本大震災の1年半後、阪神・淡路大震災の跡を確かめたい気持ちで訪れた。
 被害の様子は「今や歴史上の出来事として対象化」されて、モニュメントや展示、映像などに整理・保存されている(人と防災未来センター)。
 東遊園地にある犠牲者の名前の前で足が止る。
「こんなふうに災害の記録が扱われるまでに、どれほどの営為と歳月が必要であったか」と考える。
 そのうえで、東日本大震災では原子力発電所事故、放射能の脅威にあらためて気づかされる。
 街を歩く。「猛々しく高いビルの林立がない」街の表情を「穏やか」と書く。レストランで聞こえる会話は、中国語、韓国語、アジアの言語、時折英語。
 異人館にも行く。急な坂道。登りきれるか溜息。歳月と体力の衰えを感じる。

 息を切らせて坂を登り終え、なんとか「うろこの家」の下に出てお茶を飲める場に坐った時、すぐ横のテーブルにいた若い男女五、六人の間から聞こえて来たのは、やはりどこかアジア系の外国語の柔らかな響きだった。

 きわめて個人的な記憶。思い込みや勘違いもある。それも含めて「記憶」を辿る旅。 




◇ うみふみ書店日記
 9月6日 金曜
 仙台ロフ子さん、遠路はるばる。高速バス弾丸ツアー、事故の影響で短い滞在時間がさらに短くなってしまった。分刻み(?)のスケジュールで、【海】滞在時間は1時間ほど。
 本日は遠くからのお客さん多く、ロフ子さんも知り合いの古書店M堂さん。『離島の本屋』の「ころから」Kさんも。
 ロフ子さんお友だちのところも回って、夕方有志とお茶して帰路に。
 写真はロフ子さんのおみやげ。




「朝日」(大阪版)夕刊に、夏葉社『海文堂書店の8月7日と8月17日』の紹介記事。 
「東京の出版経営者、恩返しの写真集」
 ここでも、私の「泣き虫」が……。
 写真集は21日に入荷します。
 
 M善Iさんを迎えての「明日本」呑み会。参加者34名大盛況。自己紹介なしの酔っ払いの固まり。
 
(平野)