週刊 奥の院 9.2

■ ベアント・ブルンナー  山川純子訳
『水族館の歴史  海が室内にやってきた』 白水社 2200円+税 
 ノンフィクション作家、邦訳されている本、『熊――人類との「共存」の歴史』、『月――人との豊かなかかわりの歴史』(共に白水社)。
 1860年にドイツ人学者グスタス・イェーガーがヨーロッパ最初の公開型海水水族館をウィーンに創設。
「水族館を初めて訪れた人というのは、何かを探したり、考えこんだりしながらうろうろしている。心の中の興奮が顔に表れているから、すぐにわかる。あふれる好奇心をもてあまし、楽しむ余裕もないほどなのだ」(イェーガー)
 当時の人にとっては驚異の世界だっただろう。現在でも私たちは巨大水槽にかじりついてしまう。
 
 18世紀以前、人間にとって「海はタブーであり、恐怖に満ちた場所だった」。
 この場合の「海」は「海中世界」のことだろう。

……何世紀にもわたって、古代神話や水夫たちの土産話に影響された科学者たちがこうした恐怖の継承を支えてきた。海は生命の源である一方、不吉なできごと、死、混乱の場所であり、目に入るものを片っぱしからむさぼるような恐ろしい怪物のひそむ、忌わしい暗黒世界だと考えられていた。

 19世紀初め海洋調査がおこなわれるようになる。海水、塩分、波の原理、気象、地球磁気、生物……。1850年代には電信用海底ケーブルが敷設されるが、工事途中深海からケーブルに引っかかった生物が引き揚げられた。潜水の道具が考案され、海洋資源に目が向けられる。
 
 水槽に魚を飼い、観察するというのは古代からある。貝の標本も古くからある。金魚を飼うようになったのは中国で10世紀頃。日本にやってきたのは1500年頃、ヨーロッパには17世紀初め。ガラスの水槽で飼育観察する趣味がひろがったのは1850年代。イギリスの博物学者フィリップ・ヘンリー・ゴスが、植物用の水槽=アクアリウムを海の生き物に使った。著作や講演で海洋の多種多様な生物を採集、観察することの楽しさを伝えた。家庭でアクアリウムが親しまれる。
 19世紀後半、万国博覧会や産業見本市でアクアリウムが展示されるようになり、大規模なものに。
 
 1853年、ロンドンのリージェンツ・パーク内に水槽が並べられ公開される。「フィッシュ・ハウス」、最初の水族館。
「……感嘆と驚きの叫びが、ヨーロッパにとどまらず、文字どおり文明世界全体に響きわたった……」(アレクサンダー・ウスナー、ウイーン水族館館長が1860年に回想)
 1856年、アメリカの実業家で興行師、P・T ・バーナムがニューヨークの自分の博物館でアクアリウムの展示を始める。その後、各地に水族館が創設される。
 59年ボストン「アクエリアル・ガーデンズ」、40の水槽(80〜120リットル)がテーブルに載せられ円形に並ぶ。
「その光景は、不可思議であると同時に強烈に美しい。生物の棲む水槽を見、かれらが獲物を捕らえ、貪り、海や川にいるときのまま、自由に泳ぎ回るのを眺めて楽しい時間が過ごせるでしょう」(ボストン・ポスト紙)
 60年パリ、ジャルダン・ダクリマタシオンの水族館は煉瓦造りで窓なし、アーケードのような建物。展示室は暗く、明かりは水槽を通して上から差す光のみ。
「水中生物の真の姿を展示する、まさに新種の劇場」(科学者アルチュール・マンジャン)
 しかし、どこも水の交換・補給などに苦労。生物はすぐに死んでしまい、数年で閉館するところが多かった。
 65年ハンブルク動物園内にできた海洋水族館は「海の妖精の城」と呼ばれた。水の排出、浄化、空気の補給など装置も改良された。


「エピローグ――魚たちは、箱の中で幸せだろうか?」より。
 アクアリウムによって科学者は海の生物について体系的な研究を始めることができた。アクアリウムの機能も発展した。

……アクアリウムは平和な世界に見えるため、水槽に閉じこめらた動植物の施設であるという事実を忘れさせてしまう。だが、魚たちはほんとうに箱の中に入っていてよいものだろうかと考える人々はしだいに増えている。
アクアリウムの水は人工的な海)……私たちは、海洋という広漠たる生態系を安泰に保つことに集中すべきではないだろうか。海の生命を救うことこそ、人間として行なうべき挑戦である。

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巻頭言  磯崎新
作品でたどる軌跡  南雄介
論考  スティーブン・リッジーリー 峯村敏明
証言  宇野亜喜良 細江英公 森英恵 山下裕二 他
YOKOO’S GALLERY  中条省平
エッセイ&インタビュー  瀬戸内寂聴 蜷川幸雄 平野啓一郎
横尾忠則B面

 1960年代から世界で活躍し続ける。今年、喜寿
 現存する最も初期の作品は、5歳のとき絵本から模写した《巌流島の決闘》。色鉛筆、幼児の絵と思えない。しかも絵本には描かれていない小次郎の足の部分が描き加えられている。このモティーフは何点も作品化されている。
 1966年から高倉健のポスター・イラストを何点も描いている。横尾いわく、高倉健を「三島由紀夫ビートルズのように(自分のなかで)思想化」した。

 ヤクザ映画の主人公である侠客たちは、本質的に反体制的な存在である。彼(彼女)らは、「義理」のような伝統的な価値に殉じて、あるいは「人情」にほだされて、死地に赴く。敵対する悪は、同じヤクザでありながら、伝統的な価値よりも実利を重視する新興勢力であることが多かった。近代化や近代主義に対する、絶望的な拒絶を体現していたからこそ、ヤクザ映画は数多くの観客を獲得することができたのである。(南雄介)


◇ うみふみ書店日記
 9月1日 日曜
 OBから情報が寄せられている。ご協力に感謝。
 
 本日をもちまして、平野担当【直】仕入れ出版社の本が【海】からなくなります。
 みずのわ出版  編集グループSURE  トランスビュー  ミシマ社  荒蝦夷  ディスカヴァー  日本経営合理化協会
 出版社の皆さま、たいへんお世話になりました。ご購読いただいた皆さま、ありがとうございます。

 HP、最後の更新です。千鳥足純生「本の生一本」、私「本屋の眼」で読者の皆さまにご挨拶いたします。
http://www.kaibundo.co.jp/index.html

(平野)