週刊 奥の院 8.28

■ 亀井三惠子 『絵ごよみ 昭和のくらし  母たちが子どもだったころ』 河出書房新社らんぷの本 1600円+税 
 著者は1929年(昭和4)岡山県津山市生まれ、現役の漫画家。上田トシコ長谷川町子につづく女性漫画家の草分け的存在。『しんぶん赤旗』連載「台所剣法」は1970年から続いている。
 魚屋問屋の末っ子、姉・兄たちと歳が離れていて一人っ子のように育つ。幼稚園時代から絵が好きで、描くのは軍艦に丹下左膳。読書は兄の『少年倶楽部』に立川文庫。遊びはチャンバラ。小学校は女子だけだが、少女小説より『のらくろ』『冒険ダン吉』、世界児童文学全集読破。女学校入学の前年に太平洋戦争。
 戦後、漫画独学。19歳で山陽新聞社の小学生新聞・中学生新聞に4コマ漫画連載。大阪の出版社から毎月1冊単行本依頼。50年上京して「主婦の友社」嘱託。53年独立。58年結婚。出産、夫急逝。働く女性の先駆け、子育てと母の介護。
 戦前戦中の地方都市のお嬢さんの暮らしが描かれる。
 ここでは亀井家の隣にある神社を中心に紹介する。
「幼稚園の巻」より。

 男の子のような女の子だった。
(長い袖の着物やヒラヒラの洋服が苦手)
 八頭神社(やかみじんじゃ=ヤカンカン)の夏祭り(オスズミ)には、算盤玉の柄でさっぱりとしたゆかたを好んで着せてもらい、兵児帯を胸高に母が結んでくれてもすぐにぐっと腰のあたりへ押し下げた。……

「八頭神社」を「ヤカンカン」と呼ぶのは、「ヤカミサマ」→「ヤカンサン」→「ヤカンカン」、幼児語らしいが、大人もそう呼ぶ。神社と小溝を隔てて酒蔵があり、冬が近くなると杜氏たちが酒樽を境内に並べて干す。ふだん子どもの遊び場。三角ベースができなくなるが、樽の間を走り回って鬼ごっこ。女の子は樽の中でままごと。

……酒の香りのしみ込んだ樽の空気に、〈下戸〉の子は赤くのぼせ、〈上戸〉の子はハイな気分でおしゃべりしてよろこぶ。


 ひな祭りには柳の枝が切り落とされ、女の子は干菓子を結びつけてひな壇の脇に飾る。男の子は刀にしてチャンバラ。
「ヤカンカン」は仕事場にもなる。お堂の軒下に「鋳掛屋」「下駄直し」「コーモリ傘の修繕」などがやって来る。町内の「竹細工屋」は青竹を何本も持ってきて、ヒゴを作り、籠を編む。
「紙芝居屋」が来ると、子どもたちは大急ぎで“一銭”をもらいに駆け出す。三恵子は家の二階から“タダ見”。
 神社に堂守はいない。ときどき本家筋(?)から神主が来る。「お稲荷さん」。赤飯と油揚げのお供えが絶えない。よれよれのバアさんがよく来る。出征兵士のお詣りがあってもバアさんは知らん顔で寝そべったりキセルを吹かしたり。婦人会が清掃活動で神社をみがき立てるようになると、バアさんは去った。“防空演習”や“竹槍訓練”、お堂は黒く塗られ、防空壕が掘られた。
 戦争が終わり、9月、町は大水害に襲われる。神社も泥水に沈んだ。

……大水害の後遺症は、ヤカンカンが最もきわだっていた。敗戦で神の無力さを知った人々は食糧難につぐ燃料難のおりから、ヤカンカンの社殿の横板や床までつぎつぎはがしてゆき、民のカマドの煙をたてたのであった。

 民草は生きねばならない。


◇ うみふみ書店日記
 8月26日 月曜
「朝日歌壇」に【海】のこと?
四年間暮らした街のまんなかに海と名の付く本屋があった(神戸市・山尾さん)
「朝日」夕刊。「さよなら ミナトの本屋さん」記事。
 月に2回くらい来てくださるご老体。
「中学生の時から来てる。ここと宝文館だけが入れてくれた。本屋でも百貨店でも中学生だけやったら入れてくれへん」
70数年にわたるお客さん。
 お土産が荒蝦夷Hさんとやって来た。逆かも。H記者と3人で乾杯。途中からセーラ編集長とゴローちゃん合流。地方出版の話、販売経路の話。Hさん「ちくま」連載で、【海】のことを書いてくれるらしい。10月号を待とう、あっもう入荷しないのだった!
 
 
 

















8月27日 火曜
 某新聞社の入社試験の一環で青年が飛び込み取材。「こちらが閉店と聞いて来ました。お話を」と。幹部がいないので、頼りない私がお話。合格を祈る。
 GF・Y子さんからメール。『漫画・うんちく書店』(メディアファクトリー新書)に【海】が出てくるそう。明日確認しよう。

(平野)