週刊 奥の院

■ 里中哲彦著 清重伸之・依田秀稔絵 現代書館編集部編 
『黙つて働き笑つて納税  戦時国策スローガン傑作100選』 現代書館 1700円+税
 著者は1959年生まれ、河合塾講師、河合文化教育研究所研究員(現代史研究会)、作家、翻訳家。
贅沢は敵だ」「欲しがりません勝つまでは」に代表される戦時スローガン。書名の「黙つて〜」は昭和12年飯田税務署のもの。里中が茶化しながら解説する。

 われわれが不平もいわずに仕事をするのは、やがて仕事をしなくても暮らしていける日がくると信じているからであるのだが、仕事をしなくても暮らしていける日はなかなかやってこない。
 人生において確実にやってくるもの――それは早すぎる死と容赦のない税金である。
 それにしても「笑って」税金を納める人などいるのだろうか。見てみるとよい。納税の時期、人びとは誰もかれも不機嫌である。
 このころ(昭和十二年)より日本の経済状況はだんだん深刻になってゆく。だがそれと同時に、戦争に勝てば賠償金がとれるんだ、という“希望的会計”も軍部のなかで膨らんでいった。

 カバーの絵。「もはや祈ることしかできない、気の毒なほど勤勉な晩鐘的農民夫婦の図」。

「日の丸を 仰ぐ心に 闇はなし」(昭和16年、大阪毎日、東京日日)
「権利は捨てても 義務は捨てるな」(昭和8年、用力社)
 どっかの党の憲法草案か?
「酒呑みは 瑞穂の国の 寄生虫」(昭和16年、日本国民禁酒同盟)
「吸って歩くな戦う街路」(昭和18年、煙草販売組合中央会)
「無敵日本に 無職をなくせ」(昭和16年、標語報国社)
 グータラには辛い。

 スローガンとは何か。
 俳句ほど簡潔でなく、詩歌ほど叙情的でなく、小説ほどまだるっこしくなく、童謡ほど牧歌的でなく、流行り歌ほど刺激的ではなく、評論ほど論理的でなく、商品説明書ほど実質的でなく、パソコンの使用説明書ほど意味不明でなく、宣伝文ほど刺激的でなく、警句ほど啓蒙的でないものといったらわかってもらえるだろうか。
 すなわち、スローガンとは単純で、明快で、直截的で、扇情的かつ押しつけがましいものである。識見や学殖は感じられない。時勢の気分をつくり、世論を熟成し、気運の旗ふり役をつとめる。……
 私たちは空気に左右されてしまう。昭和は前半と後半で価値観が激変した。
 だが、変わらぬものは、のぞめばかなえられるという「念力主義」である。戦前の神州不滅の思想も、戦後の平和主義も、ともに「念力主義」にもとづくものである。
 果たして、戦前に真の軍国主義者(ミニタリスト)はいたのだろうか。軍国主義者なら、負ける戦争だとわかっていたら、なんとしても開戦を阻止したはずである。……

「古釘も 生れ代れば 陸奥長門」(昭和16年、日本カレンダー株式会社)
「科学戦にも 神を出せ」(昭和17年、中央標語研究会)

 当時の「正気」は、現代の「狂気」に映る。だが、多くの国民は当時、本気でそれを信じたのである。
 不謹慎を承知でいうと、そこには本気ゆえの笑いがあり、正気ゆえの悲哀がたたずんでいる。そして私はそれを茶化している。「念力主義」を揶揄している。
(同胞を嗤おうとしているのではない。父親は戦争に行ったし、近親者が戦死している)
 昭和十年代を研究していて恐ろしいと感じたのは、どのような強固な意志をもっていようと、いかに崇高な理想を掲げていようと、暴力の恐怖をちらつかされて発言と議論の権利を奪われてしまったら、個人なんてものはひとたまりもないということである。みんな自己規制をして、みずからの信念を吐露することもなく黙ってしまうのだ。……

 オカミがつくったものもあるが、一般市民もつくったのである。
(平野)
 日記は明日まとめて。