週刊 奥の院 8.18

■ 石井正己 『文豪たちの関東大震災体験記』 小学館101新書 740円+税 
 1958年東京生まれ、東京学芸大学教授、国文学、民俗学。『遠野物語の誕生』(筑摩書房)他著書多数。
 1923年(大正12)9月1日、関東大震災。作家たちは直後から新聞社・出版社に依頼されて体験を書いている。今年は90年を迎えるが、「生き証人」から話を聞くことは困難。文豪たちの個人的体験であっても彼らの証言は「かけがえのない遺産」であり、また個人的体験だからこそ「記録や統計には見られない人間の真情が表れている」。
 芥川龍之介は田端の自宅で被災。引用文は著者の要約。

 九月一日は茶の間でパンと牛乳を食べ、茶を飲もうとしたときに地震が来ました。母(養母)と屋外に出ると、妻は二階に眠る二男の多加志を救いに行き、伯母と多加志を抱いて屋外に出ました。父(養父)と長男の比呂志がいないのを知り、下働きのしづを屋内に飛び込んで抱いて出て、父は庭を回って出ました。火害は屋瓦が墜ち、石灯篭が倒れた程度でした。……

 下宿人・渡辺と近所を見舞い、ロウソク、米、野菜、缶詰を買い集める。近所の人たちが屋外で寝ようとするので地震はもう来ないと説得して家に帰らせる。翌日、東京全域、横浜・湘南地方全滅の報。渡辺に親戚宅を見舞わせる。姉・弟の家が生死不明。田端も延焼の危険があり荷物をまとめる。龍之介は漱石の書一軸を風呂敷に包む。
 人慾素(もと)より窮まりなしとは云え、存外又あきらめることも容易なるが如し
 龍之介、夜、発熱。
 
 泉鏡花の住まいは皇居西側の下六番町。100メートルほど先で火が出て、避難する人たちの様子、寝姿を描写。

 唯今、寝おびれた幼いのの、熟(じっ)とみたものに目を遣ると、狼も、虎とも、鬼とも、魔とも分らない、凄まじい面が、ずらりと並んだ。……いずれも差置いた荷の恰好が異類異形の相を顕わしたのである。……

 
 著名な作家・学者で唯一の死者が厨川白村(京大教授、英文学者)。鎌倉の別荘、気分が悪く伏せっていた。左脚が義足、避難するときに杖を持ち出せなかった。妻・蝶子が手助けして移動中に津波に襲われた。その様子を妻が書いている。
 橋の真ん中まで来た時、

……川の下流から真黒なものが山のように押して来るのをちらと見ました。墨よりも黒い巨濤(おおなみ)が日を蔽うて聳立(そそりた)っているのです。海嘯(つなみ)! と思う刹那に眼の前が暗くなって、私の足がさきへ、私の肩に縋った主人が後になって、橋を渡りきろうとしたその時早く、あッという声もたてずに私は意識を失ってしまいました。

 白村は泥に埋まり救助されたが、翌日夕方亡くなる。遺骸を焼くのに5日待たねばならず、仮埋葬。妻は自らの髪の毛を切り遺骸に置いた。
 
 北原白秋は小田原に住んでいた。長く消息不明だった。自宅近くの竹林に避難。自然と一体化した生活を「楽園の生活」と書いている。「大震抄」で地震の恐ろしさと竹林生活を歌う。
 世を挙(こぞ)り心傲ると歳久し天地(あめつち)の譴怒(いかり)いたゞきにけり
 吾がこもる竹の林の奥ぶかに茗荷(めうが)の花も香ににほふらし
……
 他に、志賀直哉谷崎潤一郎田山花袋野上弥生子山本有三与謝野晶子ら、全30名。


◇ うみふみ書店日記
 8月17日 土曜
 親戚一行5名と昼食。小3生と遊ぶ。
「海会」最終号の原稿。

(平野)