週刊 奥の院 8.11

■ 宮武外骨 『震災画報』 ちくま学芸文庫 1100円+税 
 宮武外骨(1867〜1955)讃岐生まれ。明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト。不敬罪で3年入獄他、罰金、発禁多数。
 本書の原本は、1923年9月1日の関東大震災後、25日から24年1月25日にかけて刊行された『震災畫報』(半狂堂)全6冊をまとまたもの。
 外骨は当時個人出版社「半狂堂」を主宰、「川柳語彙」、古川柳研究雑誌「変態知識」を編集。そのための用紙を「震災画報」にあてた。震災後3週間で緊急出版。
 解説「発信する行動的野次馬・外骨」 吉野秀雄 

……用紙も燃えてしまう、挿絵をかく絵師たちも被災している、印刷屋も火災で焼けて活字が溶ける、ニュースをいち早く伝える使命の新聞社もやられ、号外すら出せずにいるような混乱のなかで出された雑誌だから、絵が粗末なのは無理もなく、むしろ、よくこれだけのものがあのすさまじい災害の直後に出せたものだと感嘆すべきものなのである。……

 号外を2日か3日に出した新聞もあったが、限られた地域に配布されただけ。4日朝に外骨が住む町会事務所に9月3日付け「大阪毎日」が届いた。
「人々はそれを珍しがって奪合いで読んだ」【史上に比例なき絶大の惨禍  東京市の焼失家屋約20万戸 ……】
「第1冊」
○未成文明の弊害  震害よりも火害の多かった都市
地震学の知識概略
○上野公園に集った避難者  二日には約五十万人
○尋ね人の貼紙
○吉原の遊女
○貧富平等の無差別生活
○東京を去った百万の避難者
……
 朝鮮人虐殺につながった「毒を井戸に〜」の貼紙を「ウソ」と知らせている。
「著者外骨の一身」

 大震当日の午前、編輯部の楼上へ印刷所の主人を呼寄せて、中田博士の著書「文学と私法」の挿画の印刷が悪いにつき改刷せよと厳談中、ミリミリと来て、隣の間にあった六尺の洋装本棚が襖二枚とともに客室へ倒れたのにびっくりして屋外へ逃出し、その後余震が頻来するので、近傍の人々とともに谷中墓地の一隅で野宿し、明二日は前日来るはずの米屋が全焼で米を持って来ず、近所で奪合うようにして買入れた玄米を梅干壺に入れ摺木で半白にする事を担任し、夕刻からは桜木町会の招集に応じて夜警隊の配置監督役になり、不眠不休で五日間続け、七日八日はくたびれで安眠、九日から本書の発行準備に着手し、十二日から挿画、十六日から編輯、この間毎日数回の余震、戦々兢々と強迫観念に追われつつ、原稿締切となったのが、十八日の午後三時であった。……

(外骨が精米している絵)
 再び吉野の解説。

……外骨の目は、あのすさまじい災害の後、くじけることなくたくましく生き抜こうとしていた庶民たちの姿に向けられた。その世態や風俗、パニックのなかで飛び交う流言蜚語、それに惑わされ暴力をふるいはては人殺しまでしてしまう人間の浅ましさ。盗みまがいのことまでして生き抜こうとする庶民たちの業にまみれた生き様を、珍談奇談をまじえて生々しく伝えようとしたのだ。……

 

■ 本の雑誌』9月号、特集は「いま校正・校閲はどうなっておるのか!」 本の雑誌社 648円+税

◇ うみふみ書店日記
 8月10日 土曜
 GF・Kちゃん、名刺置いて帰ってしまった。会えず。
 郷土史誌「歴史と神戸」最終納品。【海】だけで販売していた。この雑誌を売る場所もなくなる。
 近所の老舗社長が昨日から何度も来店。「なくなんのん?」と繰り返しお聞きになる。
 NRくららさんから連絡。NR加盟出版社有志が9月来店してくださる。大宴会必至。
 鳥瞰図絵師、【海】の透視図作成決定。
 顧客有志、「海会」最終号企画。
 先日閉店後の【海】でシャッターを叩いて泣き叫んだ(平野の想像)桃さん来店。
 市さん他、怒りのメール。

(平野)