週刊 奥の院 8.7

■ 安野光雅 『原風景のなかへ』 山川出版社 1600円+税 
 共同通信配信「日本の原風景」。
(帯)いつまでも心に残る風景がある。
「あとがき」より。
20年ほど前、イギリスの新聞記者に東京の町を案内した。

……彼は初めて見る日本で、しかも看板の文字などは読めないはずなのに、「あの建物は古い」「あれは新しい」と極めて適切に看破した。
 彼等は先天的に古いものの持つ新しさを察知する能力を持っているのではないかとおもうほどだった。
 そして古いものは嘆賞し、新しいものには何の感興もおこさなかった。……

 自然は自然に変わっていく。そのうえ人間が掘り返し、破壊する。

……いままさに、原風景は失われようとしている。それも加速度をましているように思う。
 風景を大切に思うのは、ほんとうは罪滅ぼしの感覚ではない。例え貧しくても、自然の風景の中に住んでさえいれば、そこは本当に安住の地なのであることを、(後悔と共に)早く気がついた方がいいのにと思っている。


目次
大自然の彫刻  熊本県 阿蘇根子岳     昭和の面影  千葉県 佐原
笛吹川  山梨県 笛吹川     懐かしい渡し場  島根県 矢田の渡し
遠い灯の丘  岩手県 遠野のデンデラ野    都を離れた村里  京都府 大原の寂光院
吉里吉里語  岩手県 一関     二十四の瞳  香川県 小豆島
左は軍港、右は島々  長崎県 九十九島    判官びいき  神奈川県 鎌倉・腰越漁港
……

 兵庫県では、たつの市室津漁港」御津(みつ)町にある漁港。古代から波穏やかな天然の良港「室の泊」。
 
 文章は、ヨーロッパの風景描法から始まる。黒のペンだけで描く。画面全体を見渡しながら描くのではなく、端から順に描いていく。藤田嗣治も描いたことがあるらしい。安野はニュルンベルクでそういうペン画を描いている貴婦人に会った。左上から順に瓦、窓、煙突……、下書きはしない。

……一度描いたら消せない。ここが大事なところで「目の前の風景よりも、描いている画のほうが問題なのである」。
 描いたら消せない仕事をつづけて終わりに近づくのである。勢いのある達筆の絵は失敗することがあるのにくらべ、時間はかかるが、必ず終わりに近づく。描いているうちに、家並みにつじつまの合わぬ個所がでてきそうなものだが、こだわっていては仕事がすすまない。それでも教会の塔や銅像など肝心なところは描き忘れないから、「ニュルンベルクのどこそこあたりから見た景色」と、わかる人には、わかる仕掛けになっている。

 安野は『繪本 仮名手本忠臣蔵』連載中、室津に立ちよった。

……たくさんの家や船がかたまった漁港はニュルンベルクの貴婦人風に描くといいかもしれぬと考えたが、黒インクは持っていなかった。そこで、消すことのできる鉛筆で、消さないおきてを決めて左から順に描いた。室津漁港は何一つ残さずに描きたくなる漁港だった。いつかペンで試してみたい。
「消さない決まり」はその気になってやってみる値打ちがある。お勧めしたい。


 最後まで書いて、カバーの絵が「室津」と気づく。直感力か偶然か、ただの鈍感か?

(平野)