週刊 奥の院 8.6

お知らせ
既にご存知とは思います。http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201308/0006222618.shtml
海文堂書店は本年9月30日をもって閉店することが決まりました。
我々ヒラは5日朝礼時に紙切れ3枚で通告されました。だいぶ前に決定済みのことだったようです。
取引先及び顧客の皆様には5日よりお知らせしています。9日にホームページとPR紙「海会」にて正式にお知らせすることになります。
多くの皆さまからお電話、メールを頂戴しています。新聞社の取材も続いています。
長い間のご愛顧に感謝いたします。
閉店の日までこれまで通り営業いたします。
当ブログもできる限り続けます。


■ 宇田智子 『那覇の市場で古本屋  ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々』 ボーダーインク 1600円+税  
http://www.borderink.com/?p=9190
 1980年神奈川県生まれ、2002年ジュンク堂書店入社、09年那覇店開店時に異動。11年退社して、「市場の古本屋ウララ」開業。もともと牧志公設市場の「日本一狭い古本屋」で有名だった「とくふく堂」――若い夫婦が東京から移って開いた――を引き継いだ。

 池袋本店時代、“沖縄県産本フェア”をきっかけにして「地元の本を地元で売る」ことに憧れる。地方出店が続いて現地の棚入れ応援で郷土史の棚をつくるのが楽しかった。札幌出店時に異動したいと思ったが担当者は既に決まっていた。
次は那覇という噂に、勝手に決心した。一度も行ったことがない、でも料理や音楽には親しんできた沖縄で、沖縄の本を売ろう。
 県外の出版社の本の選書はもちろん県内出版物の選書・仕入れ。沖縄は出版がさかん。「県産本」参加社から始めて、情報が入るたびに一社ずつ連絡し交渉。少しずつ取引がふえ、開店半年で同社随一の郷土本棚ができた。
 本屋回り、著者の出版記念会などで地元の人たちと親しくなり、古本屋さんの親睦会にも参加。東京時代から古本が好きだし古本屋に憧れた。「古本」との距離が縮まってくる。

 もちろん、新刊書店員としても働いていた。沖縄本を売るのは思ったよりずっと楽しくてずっと大変だった。沖縄では出版社だけでなく、企業も市町村も学校も個人も本を出す。新聞の書評には店にない本がどんどん載る。問い合わせがあるたびに発行元をつきとめ、連絡をとり、交渉する。
どの本屋にも並んでいないような珍しい本を仕入れては喜んだ。仕入れられない本もたくさんあった。本土との商習慣の違いが大きかった。……
(条件面で取引できなかったり、絶版になっていたりも。店の広さ、本の量、お客さんと従業員の数など、だんだん手に余ってくる。疲れてくる)
 ……仕事は楽しいのに、苦しい。……

 ブログで「とくふく堂」が休眠、「次にやる人を探しています」の記事。

 ああ、これだったんだ。
 メールを書きかけて、途中でやめて電話をした。

 間口75センチ奥行180センチ、ふたり入ればいっぱい(隣を借りて、もうふたり入れるようになる)。漬物屋さんと洋服屋さんにはさまれ、向いは鰹節屋さん。免許を取って引越しをして……、まわりの人たちは「私の人生を心配」してくれた。応援してくれるようお願いした。
 古本屋の先輩が仕入れ方や売りかたを丁寧に教えてくれ、業者の市にも参加できるようにしてくれた。元上司や出版社の人たちが本を送ってくれた。
 店名、案はいくつもあったはずだがいろいろな理由で却下したら何も残らず。ふと出てきたのが「ウララ」だった。小学生の時、名字を山本リンダの歌を替え歌にしてからかわれた。

 決して好きではないのに気になる響き。誰でも読めるし覚え安いし、カタカナの字面がいい。トラウマを自ら克服するときののかも……。

 看板、内装、名刺……、まわりの人が全部つくってくれた。手伝ってくれた。

 人に頼るのは苦手で、できるだけ自分でやれるように暮らしてきたつもりだった。なのに今はひとりではなにも進められない。……身のほど知らずだったと落ちこみながら、また誰かに頼みごとをする毎日だった。
 迷惑をかけたというふうには思いたくない。応援したいという心意気で力を貸してくれたのだろう。どうやってお返ししたらいいのかわからないから、とにかく店をきちんと開けて続けようと決めた。

目次
? 沖縄で沖縄の本を売る
? 開店前夜
? 路上に座って店番中
? 市場通り繁昌節
おまけ ウララ、中国の古書イベントに行く

(平野)
♪ 春のうら〜ら〜の、と思ったぜ〜。
 
ヨソサマのことを言える立場じゃあござんせんが、お世話になっている古本屋さん閉店。
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201308/0006217086.shtml