週刊 奥の院 8.5

■ 井上ひさし 『少年口伝隊 一九四五』 講談社 1300円+税 
 絵・ヒラノトシユキ  解説・吉岡忍

 本書の「用語解説」から。

口伝隊(くでんたい)
 一九四五年八月六日、広島市に原爆が投下され、中国新聞社は本社が全焼。多くの人材と輪転機を一挙に失い、新聞の印刷は不可能になった。そこで軍は、新聞社に対し「口伝隊」を編成し、口頭でニュースを伝えるように指揮にあたった。生き残った記者たちは、どんな状況の下でも新聞の使命を果たしたいという思いで、市民らの避難所を回り、情報を伝え歩いた。
 口伝隊のおもな仕事は、罹災者の応急救済方針、傷病者の臨時収容場所、救援食糧、被害の状況を伝えることだったが、戦意を維持させ、「なにも心配いらない」と励まし歩く役割もあった。また、「原子爆弾という名称を使用してはいけない。言葉にしたものも処罰する」と命令されていた。そのうち「ピカドン」という言葉が生まれたが、閃光と爆音をもじったこの呼称は差し止めにならなかった。

 英彦、正夫、勝利、家族を失った3人の少年が新聞社で「口伝隊」としてニュースを伝え歩く。
 物語は、まず8月6日以前の広島を紹介する。
 7つの川にやさしく抱かれた水の都、人口43万人。学問の都、とくに文理科大学にはアジアからたくさんの留学生が来ている。陸軍の都、兵隊はここから中国・南方に向かうし、司令部が集まり8万人の兵士がいる。造船所の街、軍艦から客船、漁師の舟までつくる。3万人の朝鮮人が働く。
 広島は空襲されないと信じられていた。多くの人がアメリカに移民していたから。
 アメリカ大統領はこう言っていた。原子爆弾投下目標都市は、広島、小倉、新潟、そして長崎。どれだけの威力があるか知るために、これらの都市には空襲してはならぬ、と。
 
 原爆投下、爆発、地上の惨状……、井上の文章とヒラノの絵が伝える。やさしい絵が一変する。

……数十秒のうちに広島市の半分が消え失せ、その日のうちに十万人が亡くなって、二十万の人びとが傷ついていました。
このときから、漢字の広島は、
カタカナのヒロシマになった。

 3人は命からがら収容所にたどり着く。みな別の学校だったが、近くの川で一緒に遊んでいて顔見知りだった。
 正夫は、おばあさんが落ちてきた天井を支えて逃がしてくれた。
 英彦は両親を探し歩いて足の裏に血豆ができた。
 勝利は瀕死の兵士に手榴弾を渡される。これで殺してくれと。立ちすくんでいるうちに兵士は亡くなる。手榴弾はそのまま持っていた。

ここはいまでは地獄のようなところ、
わけのわからない焼け野原、
……とても一人では生きてゆけない
それで一つにかたまることにしたのです。

 知り合いの女性記者が口伝隊をしていた。3人は新聞社の手伝いをすることになる。
広島市役所は、市内の銀行に次のように依頼しました。預金、保険金などを、通帳なしでも支払うようにと。……そのさい、たしかにこれこれの金額があったと証言してくれる者が二人必要です」
 人びとは身近な情報を求めているので、口伝隊は歓迎されたが、いつもある老人が質問してくる。
「その証人さえもいのうなった者はどがあするんじゃ」
「わかりません……」
 海での塩の自給を呼びかけたときには、
「海はなきがらでぎっしり詰まっておる。そがあな海でどがあすりゃ塩が作れるんじゃ」
「わかりません……」
 その老人の姿が見えなくなった。8月15日の重大放送がある日に老人の家を訪ねた。文理大の先生だった。やせおとろえたおばあさんの看病をしていた。その様子から、3人はおばあさんが原爆症と知った。
 戦が終わり、避難していた人たちが戻り、いろいろな調査団がやって来る。
「税金が待ってもらえます」
国民学校の授業を九月三日から始めることに……」
 占領軍の兵士が来るニュースも。
 正夫の体調が悪くなり、老人の家で寝たきりの生活に。
 超大型台風――大雨、山津波、高潮が街を襲う。勝利が手榴弾を持ったまま行方不明。正夫も亡くなる。

「もうええが、もうたくさんじゃが」
 正夫を抱いていた英彦が叫びました。
(老人に、次々起こる悲劇で狂いそうと訴える。老人が諭す)
「狂ってはいけん。……いのちのあるあいだは、正気でいないけん。おまえたちにゃーことあるごとに狂った号令を出すやつらと正面から向き合ういう務めがまだのこっとるんじゃけえ。……わしらの体に潜り込んどる原爆病はの外見(そとみ)はなんともなげに見せかけといてやれやれ助かったと安心したところを見計らって、いきなりだましかけに(原文傍点)おそうてくる代物じゃ。海も山も川もそうよ。いきなりだましかけに(傍点)あばれてきよるけえ、、いっつも正気で向かいあっとらにゃいけん」
「じゃけんど、正夫にゃもうそれがでけんこつなってもうた」
「正夫のしたかったことをやりんさい。広島の子どものなりたかったものになりんさいや。……そんじゃけえ、狂ってはいけん。おまいにゃーやらにゃいけんこつがげえに山ほどあるよってな」

(平野)