週刊 奥の院

■ 三浦節夫 『井上円了柳田国男の妖怪学』 教育評論社 1500円+税

(帯)
なぜ人は妖怪を信じるのか。
人をかどわかす未知の存在に挑んだ井上円了と、失われつつある民俗を守ろうとした柳田国男
二つの妖怪学を比較しながら、いまなお妖怪を愛する日本人の国民性を探る!

1 妖怪博士――井上円了 
2 民俗学の創始――柳田国男
3 日本人はなぜ妖怪が好きなのか

 井上円了(1858〜1919)、越後長岡・東本願寺末寺の長男。哲学者、仏教学者。東洋大学の前身・哲学館創設。『妖怪学講義』で有名。東大在学中から「不思議研究会」主宰。妖怪や不思議と称するもの――幽霊から精神病まで――を学問の知識で解明しようとした。
 幽霊は人為的、偶然的なもの。人為的=人間の心の状態、疲労、衰弱、憂患、予期、熱情、精神諸病など。偶然的=薄暮とか夜中という時間、山間・深森など寂しい場所、過去に死人が出た家・場所など。
 狐に化かされるのは、「狐は人を妖かす」という話(言い伝え)を知っているのが原因。「狐が人を妖かす」のではなく、「人が人を妖かす」。
 河童も、伝説が記憶に残っているとき、偶然に水中に何かを見て、これを河童と誤認する。
 柳田の妖怪研究は民俗学の一分野。
 お化けと幽霊の違い。お化けが出る場所は決まっているが、幽霊はどこでも出る。が、幽霊は現れる相手が決まっている。お化けが出る時刻は宵と暁の薄明かり、幽霊は「丑三つ時」。
 柳田は円了の妖怪学を批判。「徹頭徹尾反対の意を表せざるを得ない」。徳川時代の学僧が、妖怪は心の迷いから生じると言っているし、不可思議と不可思議でないものを分けている。不可思議でないものを当時の物理学で説明しているが、現代から見ると愚かな説明。円了も理屈をつけているが未来に改良されるべき説。不可思議説は未来まで残るだろう。
 著者、1952年生まれ、東洋大学教授、宗教社会学


■ 『妖怪百貨店 別館  怪しくゆかいな妖怪穴2』 文・村上健司 絵・宇田川新聞・天野行雄  毎日新聞社 1700円+税 
 毎日小学生新聞連載「妖怪穴」。作者たちの夢は、「妖怪丸ごと分かる百貨店を目指す……」というものだが、前作と合わせても「たかだか二百体の妖怪しか紹介しておりません」とおことわり。それでも百貨店のように「お客様相談室」あり。
○妖怪と幽霊はどうちがうの?
○妖怪はどれだけの数がいるの?
○妖怪は日本にしかいないの? 
……


■ 常光徹 『妖怪の通り道  俗信の想像力』 吉川弘文館 4200円+税 
 妖怪・怪奇現象だけではなく、俗信という視座から、信仰、妖怪、説話などを多面的に見る。
 俗信の概念や範疇は人によって必ずしも一様ではないが、通常は、兆(予兆)・占(占い)・禁(禁忌)・呪(呪い―まじない)を中心に、妖怪・幽霊・憑き物に関する伝承を含んで用いられる場合が多い。……
「カラス鳴きが悪いと人が死ぬ」「夜、爪を切ってはいけない」などの俗信が伝承され、多くが「一行知識」になっている。

……俗信は実は多様な民俗のなかにその姿を見出すことができ、それぞれの場で人びとの心意を表出する興味深い機能を発揮している……


第1部 神霊の宿る木
第2部 怪異と妖怪
第3部 民間説話と俗信
第4部 俗信の民俗
第5部 伝説の時間と昔話の時間

 書名の「妖怪の通り道」は第2部で。
「中国地方や四国に色濃く伝承されている妖怪や幽霊などが通るとされる特定の道筋に着目し、そこに出没する魔性のモノと人との間で取り沙汰される俗信の報告」

(平野)