週刊 奥の院 7・6

■ 佐滝剛弘 『国史大辞典を予約した人々  百年の星霜を経た本をめぐる物語』 勁草書房 2400円+税 
 2008年3月、群馬県藤岡市の老舗旅館の一角、女将が佐滝を古書愛好者と知って見せてくれたのが国史大辞典予約者芳名録』
 佐滝に『国史大辞典』の予備知識はなかったが、中身を見た途端、胸が踊った。コピーをお願いした。
 A5サイズ178ページ。『芳名録』は予約者に配布したようだ。1万を超える予約があった。
 

……予約者が芳名録を見て、「自分がそうそうたる顔触れと同じ冊子に名を連ねている」選ばれし者だというプライドをくすぐって、予約したことを誇らしく思ってもらったり、どれだけ多くの人が予約したかを確認して安心してもらうというような効果が考えられる。

 
 当時は個人情報の扱いがおおらか、新聞広告にも購入者の一覧を載せている。
 予約者個人と団体名が並んでいるだけの小冊子なのだが、

 一見無機的な名前の単調な列記は、百年の歳月を飛び越えて、調べ甲斐がある情報の宝庫かもしれない。
 わが国最初の本格的な歴史辞書を、わざわざ予約して購入した人々とはどのような人たちなのか。そこに記された学校や企業は今も残っているのか。そして百年を過ぎて、この本そのものは、現在どこに、どれくらい残されているのか。……

 追跡する過程で、明治後期以降の出版、読書、図書館情報などなど、さまざまな文化が表れてくる。
国史大辞典』初版は1908(明治41)年吉川弘文館が出版。A4判、2380ページの「本編」と220ページの「挿絵及年表」の2冊組。価格20円。当時の教員の初任給が12円〜15円ということだから、今なら20〜25万円くらいらしい。
 しかし、「予約特典」で(予約金払い込み方法3種類で、8円、9円、10円と金額に差)、半額になる。重さ4.7kg、革装。

……本編は、歴史上の人物や項目が「あいうえお順」に掲載された。まさに正統派の辞書であり、「挿絵及年表」は、御所や江戸城などの見取り図、平安時代の装束、鎧縅の色見本など、さまざまな図表がびっしり詰まった別冊である。誰もが見て驚くのは、この別冊の図表の色の鮮やかさであろう。木版刷りで、百年経ても、その色遣いのすばらしさには眼を瞠らされる。……

 「時代」を概観する。1904〜05年の日露戦争に勝利。

……多くの国民は、日本が他のアジアの地域のように、列強の植民地政策に蹂躙されることなく、アジアの盟主になりつつあることを肌で感じ、日本人であることや日本という国にあらためて誇りを持っていることを確認する時期だったことがうかがえる。日本の歴史を振り返る『国史大辞典』がこの時期に刊行され、多くの予約者を集めたのは、こうした時代の空気と決して無縁ではないだろう。

 予約者の一部。
 与謝野晶子東京府豊多摩郡在住(現在の千駄ヶ谷)。代表的歌人ペンネームで予約している。
 高村光雲、彫刻家、東京美術学校教授。
 岩崎弥之助、弥太郎の弟、学問好き、蔵書家、美術収集家。
 柳田国男折口信夫伊藤左千夫の名も。他にも有名人多数。
 
目次

1 「国史大辞典」初版とは?
2 有名人目白押しの予約者芳名録
3 「予約者芳名録」を鳥瞰する
4 「華族」な人たち
5 近代の先駆者――歴史を学んだ理系の人々
6 「絹と武士」――生糸で軍を支えた明治
7 今に残る国史大辞典
8 学び舎と教師たち
9 商店と企業、官公庁
10 出版社と書店、図書館
11 神社・仏閣
最終章 芳名録から浮かび上がる多彩な予約者
おわりに

 
 版元「吉川弘文館」の創業は、1857(安政4)年。ご存知のとおり現在も歴史書出版を続けている。
 社に『芳名録』は残っていない。関東大震災東京大空襲で古い資料はない。
 現社長は1965年入社と同時に「新版国史大辞典」(全17巻、1979年刊行開始、完結まで20年)の担当になった人。作業着手から第1巻刊行までに14年かかった。
 
 著者・佐滝は1960年生まれ。文化財世界遺産・交通・自転車・郵便制度などを中心に取材、執筆。『旅する前の世界遺産』(文春新書)、『日本のシルクロード富岡製糸場と絹産業遺産群』(中公新書ラクレ)など。

(平野)
 本を作る出版人たち、その努力を評価して購入する読者たち。


ダ・ヴィンチ』8月号メディアファクトリー、562円+税)、特集「わたしの街の本屋さん」に【海】掲載。1ページさいていただいた。ありがとうございます。