週刊 奥の院 7.3

■ 野口武彦 『幕末明治 不平士族ものがたり』 草思社 1800円+税 

「不平士族」というと、真っ先に「西南戦争」(明治10)、それに神風連の乱秋月の乱(明治9)、大久保利通暗殺(明治11)などが思い浮かぶ。
 しかし、明治3年に藩閥政治に憤った貢士(諸藩から出された代議員)雲井龍雄が「政府転覆計画」未遂事件で死刑になっている。

 明治の「新支配階級」は雑多な出自の寄合所帯であった。明治維新の主体勢力は下級武士だったとよくいわれるが、その全部が全部、支配階級になったわけではない。権力を取った後、明治政府の高官に出世した種属だけが問題である。それと秩禄処分を金禄公債への切り換えで乗り切った旧大名華族、明治政府の殖産興業政策に便乗した政商などのグループが明治の支配層を形成した。……


 明治初期に「民主主義」という言葉はない。五ヵ条の御誓文の「広く会議を興し、万機公論に決すべし」はある。
 のちの民権運動他の主張を「民権論」とすれば、明治政府は「国権論」政治。しかし、

……初めはできるだけ公議政体論を生かしたかたちで議政機関の運営をするべく考えていた形跡も皆無ではない。……

 明治元年1月 貢士と貢士対策所設置 
 明治2年3月 上記機関を改組、公議人と公議所
 討議は、「徳川慶喜処分」「御用金廃止」「非人廃止」「御国体の議」(後年の廃藩置県の伏線)「廃刀」など。
 明治2年7月 公議所は集義院に改称、政府の諮問機関になる。
 政府案が否決されることが多かったのが原因。
 明治4年7月 廃藩置県
 藩代表である議員はその母胎を失う。同月、左院が設立され集議院の機能がうつる。

……明治政府がこうして早くに公議政体の芽を潰してからというもの、それまで明治維新という共通の政治目標を追っていた人々のあいだでも、どんな政体をめざしているのか思惑はバラバラになった。
将来の展望が異なる上に、言論で意見を闘わせることもなくなった。言論戦も封殺されたとあっては、残る手段は力しかなかった。明治政府という国家権力を相手取って絶望的な抵抗戦がこころみられるゆえんである。……

 政府要人暗殺が頻発する。

 「廃藩置県」は維新の総仕上げ。

 廃藩置県は実質的にはクーデターであった。維新の元勲たちが密議して、抜き打ち的に断行した。
......七月十四日の当日、天皇は、在京五十六藩の全知事を皇居大広間に集めて、いきなり廃藩置県の詔を示し、藩知事は罷免されて地方官として府知事・県知事(のち県令)がおかれ、幕藩制度下に二百六十一あった藩はすべて県となった。
 政府権力者も必死であった。廃藩置県に向かう政治の流れに反対する諸勢力も全国的に動き出した。こうして明治初年代には国家秩序の転覆を意図する「国事犯」と呼ばれるまったく新しいタイプの政治犯が誕生することになったのである。......


国事犯の誕生  犯罪行為の対象が国家。なぜこのような人間が明治初めに出たのか。しかも、彼らは維新の仲間だった。
酒乱の志士 北越の草莽の志士。戊辰戦争でも活躍。しかし酒乱で人望がなかった。維新後は失意の人生。
思案橋事件 会津藩士永岡久茂。萩の乱(明治9)に呼応しようとして失敗。隅田川思案橋で巡査と乱闘。
雨の海棠 米沢の志士・雲井、政府打倒計画未遂で処刑。漢詩をよくした。
雲の梯子 長州志士・富永有隣。吉田松陰生前も死後も対抗意識むきだしだった。
骸骨を乞う 大八木醇堂、幕臣から維新後外務省に奉職するが、辞表を叩き付ける。
天の浮橋 神風連の乱を宗教的深層から。
城山の軍楽隊 西南戦争。西郷の最期についての伝説。
(帯)

明治という国家権力に抗い、“維新のやり直し”に命を捧げた男たちの秘史。

(平野)
 【海】HP更新しました。
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 「眼」はいつもの通りの安心「おバカ」。各担当者の「わたしの棚」も更新。【海】はマジメな人間が大半です。若干名「アホでフマジメ」がおります。