週刊 奥の院 6.22

■ 『【辞書、のような物語。】』 大修館書店 1000円+税 
 書名のとおり「辞書」をテーマにした短篇集。
明川哲也(作家・道化師) 湖面にて
戌井昭人(劇作家・小説家) 辞書ひき屋
大竹聡(ライター・作家) ほろ酔いと酩酊の間
タイム涼介(漫画家) 夢の中で宙返りをする方法
田内志文(しもん)(翻訳家・作家・スヌーカ選手) レネの村の辞書
西山繭子(女優・小説家) でっかい本
波多野都(脚本家) 二冊の辞書
藤井青銅放送作家) 占い
古澤健(映画監督) あのこのこと
森山東(小説家) 生きじびき

 
 馴染みのある名前は大竹さんのみ。
 当てずっぽうで「生きじびき」というのを。
 
 祇園のバーで芸妓相手にクダをまいている宮田。
「人生もう一度やり直すとしたら、学生に戻って、就職をやり直す。会社を変えて、ついでに嫁さんも……」
 会社にも家にも不満。
 そばで飲んでいた「祇園の生き字引」銀ちゃんが話しかけてくる。「ほんまの遊び」を教えてくれると。カネのことは「心配しんでよろし」。
 細い路地をあちこち入り、連れて行かれたのは古い町家。
 舞妓が出てきて三つ指ついてお辞儀したかと思うと、背を向けて帯を解く。白い足袋だけの全裸で正座。新しい筆を渡される。舞妓の背中に意味を知りたい言葉(祇園に関する言葉だけ)を書けと言う。
「お・み・せ・だ・し」と書いた。舞妓は肌に神経を集中させて懸命に字を読み取る。
「お店出しいうのんは、……」とたどたどしく答える。エロスと清楚。長い答えを聞きたくなって、思い浮かんだ言葉は「も・る・が・ん・お・ゆ・き」。
 銀ちゃん驚き、顔はひきつる。舞妓は息を呑む。
「にいさんは選ばれた人やったんや」。
 舞妓が宮田の手を取り別室へ向かう。舞妓は「モルガンお雪」について語りだす。
 アメリカの金持ちに見初められて結婚したが、彼女には恋人がいた。
「今でもねえさんは思ったはるんどす。もういっぺんやり直したいと……」
 舞妓は宮田を引きずるように進む。離れの部屋に灯り。
「待て、やめろ」
 銀ちゃんが「あんたにぴったりの話やないか」と笑いながら言うが、目は笑っていない。
 お雪の得意だった胡弓の音色が聞こえてくる。舞妓は止まらない。ようやく気づく。まだ舞妓の顔を見ていない。

……この舞妓、顔などないのかもしれない。そう思った瞬間、私の全身から汗が噴き出した。どうすればいい……

 咄嗟に舞妓の背中に書いた……。
 舞妓はうなだれ、部屋の灯りも音色も消えた。銀ちゃんの罵声。
 宮田は、彼の「心底軽蔑したような、それでいて、優しく諭すような目」を忘れることができない。
 
 宮田は妻子の名を書いた。人生から逃げることなどできない。

(平野)