週刊 奥の院 6.16
■ 谷川俊太郎 『こころ』 朝日新聞出版 1200円+税
朝日新聞連載「今月の詩」(2008.4〜11.3、11.5〜13.3)。11年4月が抜けているのは、東日本大震災のため。発表を見合せ、13年3月に掲載した。その詩、
「シヴァ」
大地の叱責か
海の諫言か
天は無言
母なる星の厳しさに
心はおののく
文明は濁流と化し
もつれあう生と死
浮遊する言葉
もがく感情
破壊と創造の
シヴァ神は
人語では語らず
事実で教える
(帯)「生きる」をみつめた詩人が、千変万化する「こころ」をとらえた新作詩集
60篇。18人が写真を添える。
「そのあと」
そのあとがある
大切なひとを失ったあと
もうあとはないと思ったあと
すべて終わったと知ったあとにも
終わらないそのあとがある
……
■ 蜂飼耳 『空席日誌』 毎日新聞社 1600円+税
1974年神奈川県生まれ、詩人。
本書はPR誌「本の時間」連載と書き下ろし3本。エッセイなのか掌篇小説なのか?
「本という存在」
……波打ち際の突堤に、男の人が腰掛けていた。空は晴れて海はおだやか、けれどその人はがっくり首を垂れ、うつむいていた。……
(何か悩んでいるのか。少し近づく)……男の人は、本を読んでいるのだった。
どうして海を見ないで本なんて読んでいるのだろう? 余計なお世話とも思う。旅をしていても本を読んでいる人がいる。これも人それぞれ。著者は景色やらその場所の空気を味わいたい。
本は読みたい人が読めばいい、読まなくても生きていける、という意見は、考えてみると、読もうと思えば文字を読めるという余裕に基づいているのだ。本がいまよりもずっと贅沢なものだった時代や、だれでも読み書きができるわけではなかった時代。そんなころには、本は現代とは比べられないほどに、憧れの対象だっただろう。
著者はトーマス・ハーディの『日陰者ジュード』を紹介する。ジュード少年は町に出て学問をする夢を持つ。ラテン語やギリシア語の文法書を入手するが、本を開いて驚く。単語の一つ一つを暗記しなければならない。そういうものだったとは思いもしなかった。
「……本というものを見なければよかった、もう本など目にすることがなければよい、いや、この世に生まれてこなければよかった、と思った」。本とは、なんだろう。文字の連なりが、希望と絶望を、視界へそっと差し入れる。
「希望と絶望」……、「本」=「学問」という時代があった。われわれ現代人は「本」を「楽しみ」にできるのですが、「なんでこの本を手にとってしもうたんや?」(いろんな意味で)ということもあります。
(平野)