週刊 奥の院 6.6

■ 野呂邦暢 小説集成?  棕櫚の葉を風にそよがせよ』 文遊社 2800円+税 
監修 豊田健次  エッセイ 青来有一  解説 中野章子  書容設計 羽良多平吉 
 全8巻予定。
 本書では表題作他、初期の作品11編収録。
 野呂(1937〜1980)は長崎市生まれ。諫早市疎開中、長崎の原爆の閃光を目撃した。同級生たちが亡くなった。諫早高校卒業、大学入試に落ち、様々な職業を経て、自衛隊に入る。諫早大水害に出動。除隊して文筆に専念。65年『或る男の故郷』が文學界新人賞佳作。芥川賞候補に何度もなり、74年『草のつるぎ』で受賞。
「棕櫚の葉を風にそよがせよ」
 主人公・浩一はアルコール疾患で入院した時に知り合った人の会社=建材会社に運転手として勤める。社長は戦記マニアで日がな読書、重役も経営やる気なし。社長の兄の援助でもっている会社。
 浩一は仕事の後、知人のスーパーで広告の手伝いをしている。交際している女性がいる。離婚歴のある画家。
 会社が危なくなり、浩一は立て直しに積極的に関わっていく。
 で、恋愛は……?
「棕櫚の葉」の葉ずれ。棕櫚は彼のアパートから遠い公園にある(アパートの庭のは枯れている)。その葉ずれの音が時に聞こえる。彼女とケンカをしてしまった時は、
「鋭い緑の短剣を植え付けたようなその葉身は家並みの上にそそりたっている」
 と感じる。
 彼女が男性と一緒にいるところを見た。彼女の家まで行く。留守。眠れない。風のなかに「棕櫚のどよめき」を聴きとる。 
 彼女から、東京に行くと、別れを告げられる。浩一は帰り道、壊れた水道栓からあふれる水に口をつける。

 絶えず湧きあがる水の面が彼の暗い顔を不確かに崩してくる。二度と自分はあの葉ずれを聴くことはないだろう、と四つん這いの姿勢で考える。自分の中に時としてそよいでいた棕櫚の葉が風にこたえてからからと鳴ることはもうあるまい。何かが決定的に終ったと思う。それを正確に名ざすことはできないけれども、あるいは一つの青春と呼べば呼べるものが終ったことは確かだ。風の夜、耳を傾けて自分の内に聴きいっていた棕櫚の葉は、いわば浩一自身の青春の音といって良かった。

 野呂さんは諫早の地をこよなく愛したが、その美しさばかりを書いたのではなかった。戦争や兵士、古代史や自然保護といった関心のひろがりも、原爆と水害というふたつの破局を経験して、『世界の終わり』をどうしても考えないではいられない想像力に源流があるのかもしれない。……(青来)

 
 野呂の作品『世界の終わり』は核戦争を扱っている。

 野呂邦暢を語るとき長崎と諫早という二つの町を忘れることはできない。七歳までを過ごした生地長崎と、終焉の地となった諫早である。作家としてデビューしたあと東京移転を勧められるたびに、「人間も木と同じ。風土の合わないところに移植しても枯れてしまう」と言い、「小説と言う厄介なしろものはその土地に根をおろして土地の精霊のごときものと合体し、その加護によって産み出されるもの」だとして、その言葉の通り、地方を舞台に普遍の世界を描き続けた。……(中野)

 監修の豊田は元「文學界」編集者で、野呂の担当者だった人。
(平野)