週刊 奥の院 5.27

■ 田中優子 『張形と江戸女』 ちくま文庫 720円+税 
 法政大学社会学部教授、近世文学。『江戸の想像力』(ちくま学芸文庫)、『カムイ外伝講義』(小学館)他著書多数。
 本書の元本は、1999年『張形――江戸をんなの性』(河出)、改訂版が04年『張形と江戸をんな』(洋泉社)、さらに加筆、図版増やして文庫化。
 浮世絵春画に描かれた「張形(はりがた)」――女性のための「秘められた慰み物」=性具――は何を意味しているのか、春画に多く描かれたのはいかなる事情によるものか、単なる男たちの好奇心の所産か・・・・・・?
 菱川師宣が描き、井原西鶴が書き、西川祐信は「使用法を目録化」。

・・・・・・たしかにそこには男たちの好奇心のあざとさ(傍点)を見る思いがするが、張形は男たちの空想のみによって作り上げられたものではなく、その存在の物質性によって女たちの性的欲望の所在を証すものでもある。
 女に性欲はあるのか、ないのか、という論争の近代的迷妄を、江戸の張形は鮮やかに否定しさる。女に性欲があって当り前、女も男同様マスターベイションをして何が悪いのか。否定する論拠は何か。産めよ増やせよの性のエコノミー論では太刀打ちできない女のマスターベイションは、それを論じることさえもタブー視されて来た。それが江戸人にかかれば「自安味(ひとりあんま・自慰)はよく心をなぐさめ血気をめぐらす」ゆえに健康によしと、逆に励行されることになる。
 それゆえに張形について語ること、それは「江戸をんなの性」のあり方、ひいては日本人の性意識の一断面を明らかに照射することになるのではないか。一書をまとめようとした所以もそこにある。・・・・・・

1.欲望の発露   錦の袋にはいった「女の性」  女の性欲と張形文化 ・・・・・・
2.快楽の追求   奥女中の性を描いた『床の置物』  数字をめぐるおかしさ ・・・・・・
3.開放感の伝播   性愛の先進地・上方の張形  京に遅れをとった江戸の張形 ・・・・・・
4.好事家の世界へ   変貌する張形の用途  女性のマスターベイションを描く文化 ・・・・・・
 
 女性が春画を論じることは「ありえないこと」だった。
 また、フェミニズム春画やポルノを「男性の眼によってとらえられた女性像」=「描かれているのは男性の願望」と断じる。
 しかし、田中は、春画は今日のポルノとは違うという考え。
 男女のカップルで描かれていること、嫁入り道具であったこと、魔よけの役目もあったこと、さらに自然信仰ともかかわっていたと考えられることなど、男性しか眼にしないものとは考えられない。
 
 田中が「張形」に出会ったのは、井原西鶴好色一代男』の一篇「替つた物は男傾城」。登場するのは大名家奥向きの女性。
 上臈(上級の御殿女中)が部下の女性にお使いを言いつける。錦の袋を渡して、「御長(おんたけ)はこれよりすこしながく、ふとひぶんは何程にてもくるしからず。けふのうちに」と。望みどおりのものがなく、注文をして帰る。途中、主人公・世之介に出会って一目惚れ。「親の敵(かたき)を今見つけた。お人柄を見込んでお願いする。敵討ちを手伝ってくれ」と涙を流して頼む。世之介は困ったが、女を茶屋に待たせて武装して駆けつける。世之介が「さあ子細は」と問うと、女は錦の袋を差し出し、「これを使うと死にそうになるのですから、命の敵、これの敵を討ってください」と抱きつく。
 

 この物語では、張形を選び、買い、つかうのは女である。男を選び、誘い、思いどおりにするのも、女なのである。

(平野)