週刊 奥の院 5.25

■ 瀬戸内寂聴 『それでも人は生きていく  冤罪・連合赤軍・オウム・反戦反核』 皓星社 2300円+税  
 社会に向かって積極的に発言してきた。

「九十一歳の遺言として」

 私は作家としての立場で、敗戦後の日本に起る様々の事件や現象につきあってきたが、その度、自分の心に従って事件に立ち向い、ペンで書いたり、裁判に立ちあったりして、体当たりでその事件や、それによって起る世間の現象に、自分自身の解釈を得ようとつとめてきた。
(裁判、連合赤軍オウム真理教国際紛争地震津波原発事故・・・・・・)
 よくも次々大きな問題が起ることよと、呆然とするが、呆然としてばかりはいられない。
 気がつけば、何やら怪しい雲が降りて来て、日本は現憲法改憲の声が拡がりつつあり、戦争も辞さないという危険な空気がはびこりつつある。今、日本を背負っている世代は、あの長い昭和の戦争の経験がない。現大臣たちも若くて戦争の経験がない。私にまだ定命が与えられているのは、戦争を経験し、この世に起った様々な歴史的事件を見て来た者として、それらをどう捕えたかということを、現代の人々に伝える為に命を与えられているのだと自覚する。・・・・・・

「反権力の立場で私は作家として生き通してきた」
「この本は私の心をこめた遺言である」

 反原発集会にも車いすで参加。昨年七月の代々木公園集会で。

 いくら(ひとがたくさん)集まっても、私は九十年生きてきたから非常に懐疑的なのですが、これがすぐ原発を止めるとか、政府の方向を変えるとか、そうはならないのではないかという、非常に疑い深い気持ちを持っております。それでも、私たちは集まらなければならないのです。
 なぜなら、私たちは税金を払っている日本の国民です。だから、政治に対して言い分があれば、口に出して言っていいのです。身体であらわしていいのです。そういうことを、今のひとたちはあまりしなくなりました。悪いことはやめてくれ、とたとえ相手が聞かなくても言い続けましょう。


 小説でも、愛と革命に生きた女たちを描いてきた。
『美は乱調にあり』で伊藤野江、『遠い声』で管野須賀子、『余白の春』で金子文子
『烈しい生と美しい死』では平塚らいてう、管野、伊藤らと自分との関わりをテーマにした。
 解説、鎌田慧「エロスと反逆」より。

・・・・・・国賊と言われた叛逆女性の情熱を、瀬戸内さんは書き続けてきた。
 同郷の冤罪「徳島ラジオ商殺し」・冨士茂子の「拒絶」、連合赤軍事件・永田洋子の「逸脱」。それらは、この国で自分を全うしようとする先進的女性に押し付けられた、過酷な負担だった。
(管野、伊藤、金子については今でこそ研究書があるが)瀬戸内さんが勇気とともに独自に切り拓いた道でもあった。冨士茂子は死後になってようやく冤罪を晴らし、永田洋子は処刑台の手前で病死した。瀬戸内さんが女性解放運動の先覚者の情熱を書き続けてきたのは、男の旧弊を許せなかったからであろう。「新潮同人雑誌賞」の受賞第一作の「花芯」での先駆的な性愛の描写が、文壇の男たちに「子宮作家」などと嘲笑されたのは、女性蔑視そのものだった。この間の失意と反逆心が、「瀬戸内寂聴」を形成した。・・・・・・


 ずっと口うるさい女性でいていただきたい。
(平野)