週刊 奥の院 5.20
■ 出久根達郎 『七つの顔の漱石』 晶文社 1600円+税
装画 森英二郎 装幀 熊澤雅人+尾形忍
第一部 七つの顔の漱石
棕櫚竹や 図書館が学校 装幀・装釘・アラ? 装訂 文豪とスポーツ 漱石と饂飩と私 ・・・・・・
第二部 虚実皮膜の味わい
第一部は、“漱石愛”を語るエッセイ。第二部は、漱石の弟子をはじめとした作家エッセイ。
表題作は書き下ろし。「七つの顔」は、東映映画「多羅尾伴内」――片岡千恵蔵主演、変装名人の探偵が難事件を解決。東映・千恵蔵といえば「チャンバラ」だが、GHQによって時代劇は御法度だった。苦肉の策でサムライを背広姿の現代物にした。人気シリーズとなり全11本。
漱石にも「七つの顔」の関連があった。
まず、文豪であること。私たちが漱石の名を聞いてまっ先に思い浮かべるのは、この顔だろう。そして次には、東京帝国大学の英文学教授だろうか。教授から、作家になった。朝日新聞社から請われて、専属の作家に職を代えた。明治の時代に、筆一本でなりわいを立てた者は、数えるほどしかいない。森鷗外といえども、陸軍軍医総監づとめの傍らの著作活動である。・・・・・・
出久根は続いて意外な漱石の顔を紹介。
「スポーツマンとしての漱石である。」
胃病で苦しみ死因も胃潰瘍。腹膜炎、糖尿病、痔、神経衰弱など、病に苦しんだ暗いイメージ。しかし、学生時代はスポーツマンだった。器械体操、水泳、ボート、乗馬、庭球、登山、野球。それに相撲観戦。
明治33年、イギリス留学で神経を病み始めるが、自転車で気晴らし。36年に『ホトトギス』に「自転車日記」を発表。
下宿の女主人に勧められたとあるが、実は日本人(漱石門下の小宮豊隆の叔父)に。馬乗り場で練習。ペダルに足をかけるやいなや、
「ずんでん堂とこける」
巡査に往来で練習せよと注意される。当局の許可をとって道路に出る。ゆるやかな坂道、女学生が行列して登ってくる。
「両手は塞がつて居る、腰は曲がつて居る、右の足は空を蹴つて居る、下り様(おりよう)としても車の方で聞かない、絶体絶命仕様がないから自家独特の曲乗りのまゝで女軍の傍らをからくも通り抜ける」
自転車は止まらない。歩道に乗り上げ塀にぶつかり、四つ角にいた巡査の前でようやく停止。
「大落(おおおち)五度小落は其数を知らず」
向こうずねをすりむき、生爪を剥がし・・・・・・、
「其苦戦云ふ許(ばか)りなし、而して遂に物にならざるなり」
貴重な留学時間を浪費して、下宿の飯を二人前食っただけで、勧めた女主人が損したと結ぶのだが、出久根はこう推理する。
・・・・・・女主人をダシにした理由は、落ちをつけるためであったろう。 「人間万事漱石の自転車」と自嘲している。確かに、見る限り、およそ運動能力のない青年(まだ三十代前半である)ではないか。こと自転車に関しては、漱石はスポーツマンと称しがたい。しかし、文面通りに受け取るのも早計だろう。何しろ、文豪の筆である。下宿の女主人を言いだしべえに据えたように、かなり誇張して語っていると見ていい。私は結局、漱石は自転車に乗れるようになった、と解釈している。成功しては話が当り前すぎるので、失敗談に仕立てたと思う。・・・・・・
皆さんは?
で、漱石の他の顔は、詩人、俳人、美術評論家&装幀家、そして・・・・・・、もうひとつは読んでください。
(平野)