週刊 奥の院 5.11

■ 思想の科学研究会編 『共同研究 転向6 戦後篇 下』 平凡社東洋文庫 3200円+税 
 全6巻完結。
 目次
第三篇 第五章 急進主義者 
第一節 学生運動の推進者――大島渚、大野明男    大野力
第二節 転向論の展望――吉本隆明花田清輝     鶴見俊輔 
第四篇 討論
? 日本思想史と転向  ? 現代世界と転向
第五篇 増補
『転向』以降の転向観  転向思想史上の人びと――略伝  日本近代転向思想史年表 他

 鶴見「転向論の展望」より。
 この共同研究とならんで吉本隆明の「転向論」が進んできた。

・・・・・・
 吉本隆明が転向を問題にしはじめた動機は、彼の敗戦の迎え方の中にある。敗戦の日までに彼は敗戦の予感をもたなかったわけではないが、負けにおわるとしてもこの日本のたたかい方の中に意味をみとめて来た。・・・・・・
(吉本は影響を受けた本として、中学生時代のファーブル『昆虫記』、敗戦直後の『新約聖書』、マルクス資本論』をあげる。敗戦直前に宮沢賢治についての草稿をまとめている。ファーブルや宮沢賢治の思想にうちこんだ工科専攻生が)竹槍でB29をうちたおすことができると信じられなかっただろう。だからこそ彼にとっては、一九四五年(昭和二〇年)に、あいつぐサイパン敗北、硫黄島敗北、沖縄敗北のしらせをききながら、だまりこんでしまいがちな良識派知識人の身の賭け方が不快だった。むしろ、負けとわかっていてもなおこの戦争にかけるという高村光太郎ら徹底抗戦派知識人と姿勢を同じくする。
全日本の全日本人よ、起つて琉球に血液を送れ。 (高村「琉球決戦」朝日新聞1945.4.2)
(高村は降伏後こう書く)
鋼鉄の武器を失へる時  
精神の武器おのづから強からんとす 
真と美と到らざるなき我等が未来の文化こそ
必ずこの号泣を母胎として其の形相を孕まん (「一億の号泣」朝日45.8.17)
 外部の世界がくずれても、内部の世界がしっかりとのこっていれば、それはそれでよい。だが、外部の世界がくずれても、内部の世界がくずれなかったかのようなふりをして、外部世界の再建にのりだすという姿勢は危険である。高村光太郎の八・一五をむかえる詩の中に、吉本はこのような危険な姿勢を予感した。・・・・・・
(自らの転向の自覚がなく、自分を非転向の立場において他人の転向を非難するというスタイルがあらわれてくる)
・・・・・・二十代前期の吉本はこれらに参加することなく自分の視点をつくろうとする。
・・・・・・吉本のなかで日本思想への裁断のメートル原器として働くのは、彼内部の鏡にうつった戦時大転向の姿であり、この標準にあわせて戦後民主主義者・革命主義者の言動を計ってみるとき、そのほとんどが一切標準以上に伸びていない。限界状況を一貫性をもってもちこたえられるような思想構造をもつものでなければ、思想としての重要性をもたない。そういう条件をみたさないで思想としてとおっている一切の思想を、学術論文であれ、政治家の言動であれ、詩・小説であれ、すべてたたきこわす役割を、彼は自分にふった。彼が最も警戒するのは戦時下翼賛運動のような私的なつきあいをむすぶことをとおしておたがいの思想に対するゆるしあいをやり、なまくらな裁断しかしなくなることである。・・・・・・

(平野)